Wednesday, September 26, 2007

白い紙の正体

今日は、皆さん。このエントリーを待っていた人いればごめんなさい。今までロッグインが出来ませんでした。そして、僕のエントリーがいつも前より長くなって申し訳ありません。

今度は登場人物の台詞を括弧に入れてみました。僕はもっと分かりやすくすると思うけど、みなはどう思いますか。あるほうがいいですか。ないほうがいいですか。そんな大切じゃないことはどうでもいいですか。そしてもう一つの質問があるが、手袋があるとき何をしますか。着る?履く?かける?つける?

さてさて、話しに入りましょう。


一時間前ただの日常生活を過ごすつもりだった、とトレバーが思った。まあ、授業がつまらない時もあるし、クイズは一つ二つぐらいあるはずだったけど、そんなに大変じゃない存在だ。特にこれほど大変には絶対至らない。

クラスへ行かずに知らない目的地へ知らない女と一緒に高速で知らない誰かから逃げていた。そしてその誰かが銃を持って向こう見ず撃っていた。

一生初めて、トレバーは授業に行きたいと思った。

知らない女の車を見つけて、それに乗って、女は危ない速度で雷雨の中に運転していた。トレバーはしばらくその女の注意を逸らさないように黙ったが、好奇心に負けて話してしまった。

「あの~、そろそろ説明貰えるか。」

謎の女が聞かなかったように前から目を逸らさなかった。道に注意していたことにトレバーが感謝したが、やはり答えが欲しかった。でも、数秒後、女はこの返事をした。

「これを書いたとき、何を考えていた。」

それは何の説明でもない、とトレバーが思った。しかし、答えてから説明がいずれ来るかもしれないと思ったから、答えた。

「俺も知りたい。キーボードの上に寝ちゃうところだったから、何を考えてたか全然分かんない。でも、俺はただの大学生だから、何とか極秘情報とか大逆罪とか書いたはずがない。」

女が笑いながら、「そういう問題ではない」と言った。「思ったとおり何も分からないな。」

「だから説明しろ」と少し怒って言った。「この何も知らせないのをいい加減にしろ。」

謎の女がしばらく無言で考えて、「言霊と言うこと、知っている」と聞いた。

言うまでもないが、それは意外なことだった。「コトダマか」とトレバーは言った。「琴とと言うことか。琴を綺麗に弾いて、人の耳に玉の音が聞こえると言うことか。」

女が少しトレバーの方へ向いて、眉毛を上げた。「そんな言葉知ってるけど言霊って知らない」と信じられないと言う声で言った。

「じゃあ教授なさっていただけませんか」とトレバーが皮肉な声で言い返した。

「言葉の魂だ」と答えた。「古代の日本に、言葉に魂があってその魂に力がある、いわゆる言霊を信じた人が多かった。」

「俺の作文と何の関係がある、それ。」

「あ、琴の玉の音と関係があると思う」と謎の女がニヤニヤ言った。

女に睨みつけて、「まだ何も分かんないけど」とトレバーは言った。

その女は例の白い紙を取って、「この紙に言霊の力がある」と真面目な声で言った。

まあ、普通の人間の中にそれを聞いた直後に信じられる人いるだろうか。多分いないな。トレバーも同じだった。凄い皮肉な声で、「何の力がある」と聞いた。

「この雷雨を生み出す力」と以前と同じく真面目に言った。


その瞬間、もっと劇的にするために、稲妻が光った。しかし、トレバーを説得するのはまだまだだった。「雷雨は自然な物じゃ」とトレバーが言った。「自然に起こったはずだ。」

「天気予報に全然気をつけないの」と女は言い返した。「今日は必ず晴れだと言った。」

「天気予報、信頼できるもんか」とトレバーが言った。そしてもう一度好奇心に負けた。「あの~、まだ信じないけど、そんな物凄い力があるとしたら是非何を書いたか見たいな」と言って、紙の方へ手を伸ばした。

「触れるな」と言って、謎の女がトレバーの手を激しく叩いた。「危険すぎる。私は厚い手袋があるから触れられるが、お前は触れれば、何になるか分からない。」

トレバーは文句を言いたかったが、行き成り大切なことに気がついた。白い紙は長い間雷雨の中に持たれていたが、一滴も濡れていなかった。一体何を書いたかと思った。

「とにかく、力がありすぎるのでもう何も読めない」と白い紙をジャケットのポケットに入れながら言った。

「どうなる」とトレバーが聞いた。皮肉が完全に消失した。

「私も知らないよ。この紙を研究しないとだめだ。でも、見てのとおり、信じられないほど危ない物だ。」

信じられない物をだんだん信じるようになってきていたトレバーがこっくりうなずいた。「最悪は」と聞いた。

「まだ分からないが、地球を滅ぼすかもしれない」とそっと答えた。

「そんな」とトレバーが呟いた。「大袈裟すぎるじゃないか。」

しばらく窓の外を無言で見て、突然「危ない」とはっきり言った。

「当然危ない」と女が少し激怒して言った。「聞いていなかったの。」

「いや、そうじゃなくて、車を止めろ!」

一台の車が道を断ち切っていた。女がブレーキを早速掛けて、窓の外の前を見た。突然ドアが開けられて、雨着を着ている男が謎の女を掴んで車から引き出した。

「どこだ」と暴力っぽいな声で言った。「俺に渡せ!」

やれやれとトレバーは思った。今日は頭がおかしいだろうな。馬鹿な事ばっかりしてるね。そうっとドアを開けて、車の向こう側まで歩いていった。雨着を着ている男と女はまだ取っ組み合っていた。

これは世界を救うって事かと思った。獣のように声を上げて、激怒している牡牛のように男に突進した。勿論体力は獣や牡牛ほどなかったから、大きい結果を出すはずがなかったが、男は吃驚して女を放して、雨に躓いて落ちた。

「逃げろ」とトレバーが叫んだ。女は一秒だけ渋って、逃れ出た。

これは有留先生の授業をスキップするまで十分な言い訳になるだろうかとトレバーは思った。いや、そんなこと存在するわけはない。知らない女を助けたもっと重要な理由があるはずだと思ったが、直ぐに男に掴まれたからそれより深く考える余裕はなかった。

深い声は「これもいけるかな」と言った。「おはよう、トレバー君。」

トレバーがその声を知っていた。そして、相手に向いたとき、顔も見慣れていた物だった。

この雨着を着ている人は知らない人とは言えない。


続きを楽しみにしてください。

Tuesday, September 25, 2007

ホラー映画

先日僕は幼いときから俳優になりたかったとは言ったでしょ。それは事実でした。そのため、高校で毎学期の芝居に参加したし、演技の授業もいくつもとりました。大学の一年目と二年目にも演技や映画や映画音楽(音楽が好きだから)の授業もとったりしました。ワシントン大学でもいくつかの芝居のオーディションに行ったが、一つ度も入らせられなかったっす。少しずつ演技力の自信喪失になって、知らない間に熱心さも失せました。

ところが、僕の可哀相な話じゃないですよ。その熱心を失わなかったら、今の大好きなビジネスと言語の勉強にしたわけじゃないかもしれません。

それはそうと言っても、演技の興味は全部失せたもんじゃないっすよね。ですから、ことあるごとにセントルイスの各地で演技するようにしています。ゆえに、この前の土曜日の夜、ホラー映画のちょい役として演技しました。僕は映画で演技した事ありませんでしたから、とても楽しみでした。午後8時から、セントピーターズの小さい界隈で撮りました。着いてから監督と助監督に会って、無答責とリリースの協議書にサインさせられました。その後、他のちょい役(20人ぐらい)と外で待ちました。

暫くすると、監督に映画の筋立てを説明してもらいました。タイトルは「サクリファイス•ザ•フィアー」(Sacrifice the Fear)といって、ある意味で怪獣映画です。ある日、立て役の四人が突然に寝たのと違う場所に起き、追々に小さな底気味悪い町(だからセントピターズの小さい界隈で撮った)だと分かるようになります。その町が魔女で呪詛されてて、町民は毎年四人を人柱しないと「陰怪物」に全町民が殺されることも分かるようになります。ですから、その四人の立て役がまず町民と戦って、それから陰怪物とも魔女とも戦います。

ちょい役たちはその町民でした。最初は、立て役との荒事を撮りました。とても楽しかったです。何回も戦いのコリオグラフィーを練習してからいよいよ撮りました。戦いが終わったら、陰怪物に追いかけられるシーンでした。それは、町民の逃げてばかりのシーンでした。そのため、何回も長い時間で走ったので、かなり疲れました。でも、それはラストシーンでしたから、終わってから休めました。


概して言えばとても楽しい経験でした。様々な人に会ったし、初めて映画で演技した経験でしたから。

その上、映画が完成したらただにDVDをもらって、封切りにも誘われます。本当に楽しみにしてます!

とても長いエントリーになって、すみません! m(__)m

Monday, September 24, 2007

セントルイス雑記・その壱

*セントルイス人同士が始めて会う時、必ず「どこの高校に行きましたか?」とお互いに聞きます。(初授業で、デニスさんと私もこんな会話をしました。)

*セントルイスの名物は揚げラビオリです。セントルイスで行われた1904年の万国博覧会で綿菓子、ピーナッツバター、アイスクリームコーンとアイスティーは世界中で初めて売られたそうです。

*1904年のオリンピックもセントルイスで行われました。20世紀初頭セントルイスはアメリカで四番目に大きい都市でした。(今は50番目位です。)

*去年セントルイスはアメリカの中で一番危ない都市と呼ばれました。(ロスとシカゴに住んだことのある私はこの結果にあまり信用できないけど。)

*セントルイスの運転手はアメリカで礼儀正しいほうと呼ばれています。交通渋滞でのイライラ、車の運転中{うんてん に突然{とつぜん}キレることが少ないからです。(ロスとシカゴに住んだことのある私はこの結果を物凄く信じています。)

*セントルイスは昔フランスに統治されていたから、道や地域の名前にフランス語が多いです。しかし、フランス語のままに発音されている名前が一つもないと思います。例えば、Gravois通りはグラボワじゃなくてグラヴォイ、Creve Coeur市はクレーブクールじゃなくてクリーヴコールです。

*セントルイスをセントルイーと言う人は明らかに観光客です。

17歳の年にカリフォルニアにある大学に行って以来、セントルイスに長く住むことないので、セントルイスのくだらないトリビアなら分かるけど、最近流行っているレストランとか面白い所はあまり知りません。教えてー!! 

Sunday, September 23, 2007

僕と玄米パン


(はじめまして!オーステイン・ワンと申します。皆さんのブログを読んで、たいへん面白いと思います。今回のエントリーを書かせていただいて、ありがとうございました。これからもヨロシクね★)
「健康にいいから、さっさと食べなさいッ!」
両親にそう言われて、いろいろな言うに言われぬものを食わせられた。ことのほか印象に強く残っているのは、エキストラバージンオリーブオイルをたっぷり塗ったゆず。果物の酵素とDHAの合わせが身体に不可欠だと、なんとかかんとかの説明もついたのだろうが、その説明をもうすっかり忘れてしまったか、あるいは当時ちゃんと聞いていなかったから…
モチ論、わが身を大事にして、泡沫夢幻や有為転変のような四字熟語をきちんと書けるようになるまで果敢ない寿命を惜しんでいる。しかし、いくら健康にいいと言っても、苦しくなるほどマズイものを食べたくはない。
最近、様々な新しい健康商品がたくさん出たに気づいて、たとえば、暇をつぶしてWhole Foodsを逍遥しながら、Authentic Tibetan Himalayan Dried Goji Berriesも発見した。それはすごいことだと思って、むかし母がGojiの果実で作った超不味い汁を思い出して、Gojiをスナックとして食べるなんて信じられなかった。ほんとに食えるのかと疑って一袋を買って帰ったのだが、じじつ、かなりおいしいと思った。なお、ミルクチョコ、ダークチョコ、ヨーグルト、Trail Mix、種々のバージョンも発売され、伝統的な西蔵人のようにGojiの果実を食べて楽しめるようになっているのだ。まさに、Gojiやバターのにおいが非常に強いアサイの果実などのような、異国風にエキゾチックなスーパーフードが人口に膾炙する。
それでも、このように育てたためか、自分の性格のためか、たとえば「1日30品目」に無理にこだわったりして、味なしの玄米パンの生活をつづけている。儚き世にでも、僕の性格や悪いクセだけは変わらないかなと思っている。いつか、多彩なクロカンブッシュやミルフィーユの日々キボーンo(゚◇゚)oワクワク

Saturday, September 22, 2007

インドネシアの自然環境

皆さん!こんにちは~いよいよ待っていた週末ですね~この週末に何か特別なことしますか?

今度はインドネシアはどんな国なのか簡単に紹介します。

インドネシアは東南アジア国家中の1つ、マレーシアの南、オーストラリアの北側に位置します。 地図で見るとそんなに大きく見えませんが、実は東方から西方の距離がアメリカと同じです。それに世界で一番大きい群島です。なんと17,000個の島でつくってあります。インドネシアの人口も二億三百万が超えてアメリカの次に多いです。言語はインドネシア語です。マレーシア語とは似ていてアメリカの英語とイーグリスの英語が違うぐらいです。

赤道(EQUATOR)の上にあって一年中ずっと夏です。年中平均温度は80度ぐらいです。確かに季節は1つしかありませんが、笑わせるのはインドネシア人に聞いてみると必ずインドネシアの季節は2つありますよといいます。何で二つと聞いたらインドネシアはDRYRAINY SEASONがあると言い張ります。ほかの季節がないので確かに一方ではつまらない画も知れませんが、その理由でインドネシアでは木が早く育つし、資源が豊富です。多分そうじゃなかったら僕の父を初め、僕の家族は最初からインドネシアに行かなかったはずです。僕の父はインドネシアで合弁とENGINEERED WOODの工場を運営しています。僕が小学生の時はインドネシアに暮らしているのがあまり好きじゃなかったんです。確か韓国に住んでいたら子供として遊びに行くところも多いし、どこに行っても面白い物ばかりだし。。でも僕は今思い返すと僕がインドネシアで成長してとてもよかったと思います。インドネシアで国際学校を行って韓国にいる僕の年頃の生徒のように入試地獄を経験する必要はなかったんです。また勉強の意外に大事な経験をたくさんする機会がありました。僕の中学校と高校はアメリカとヨーロッパの授業方式に教えたので、僕は当然に勉強もしながら放課後の特別活動も熱心にしなくちゃいけなかったんです。僕は奉仕活動のクーラブと旅行クーラブの一員でした。クーラブを通じて僕は僕の周りの人はどんなに大変な環境で生きているか、またこの世界は本当に行くに値するところが多いなのかを感じました。

Friday, September 21, 2007

アメリカ留学後、一か月の感想







どんなことを書けば良いのか迷いました。これから、私が、ここアメリカに来てからの感想を少し書きたいと思います。これを読む人にとっては、つまらないかもしれませんが、私にとっては、やはり青春で忘れられない一ページなのです。初めての経験なので、特に心に強い印象が残っています。先ず、私を一番びっくりさせたのは、なんといっても周りの人々の優しさと厳しさです。私のクラスメートは、皆、有名な大学の卒業生です。国際的な学生が多くいる中で、精華大学とか、また、シンガポール国立大学とか、名の通った大学の学生が多いです。彼らは、本当に優しいです。やさしさの中で、私も頑張っています。しかし、勉強のときは厳しいです。だから、私も、周りにやさしくしながら、勉強も彼らに負けないように頑張っています。本当に疲れます。次に、私は、この恵まれたチャンスを生かすために本当に頑張っています。このチャンスに恵まれて本当に嬉しいと同時に感謝しています。更に驚いたのは、自然環境です。澄んだ空、おいしい空気、芝生の上に遊ぶ栗鼠、空高くそびえる大木、その大木から栗鼠が下りてくるのです。そして、人々の周りで遊ぶのです。これは、街のあちこちに見られる光景です。ごみもありません。まるで全部がアンデルセンが描いた童話の世界です。私の故郷は、重化学工業都市なので、環境は良くないです。空気は汚れ、空は灰色にくすんでいます。夜になっても星があまり見えません。最後に、完備されている福祉施設に驚きました。アメリカでは、福祉施設が充実し、障害を抱えた人たちも家族に負担をかけないで生きていける社会です。例えば、バスにもそういう施設があります。車椅子のままで自動的にバスに乗れるのです。また、更に感じたことは、ある日のこと、私の体の調子が悪いため、店に入って熱いミルクを飲めば痛さも和らぐのではないかとミルクを注文しました。その時、店の人は不思議な表情を浮かべました。「本当に熱いのがほしいの」と聞き返しました。私は、「はい」と言って確認しました。 アメリカ人は冷たい飲み物が好きだと言うことがよく分かりました。この人は、熱いミルクを飲むなんて、不思議だと思っていたに違いありません。その後、AMYさんの説明を聞きました。アメリカ人は、一般的にはただ眠れないときに、つまり、深夜にしか熱いミルクは飲まないらしいです。だから、朝の10時、こんな時間に、しかも授業の前に熱いミルクなんか飲んでいる人があるはずがないだろうと自問自答しました。中米文化の違いを肌で感じました。                       これは、私のただの1か月の経験です。これから、もっと多くの体験が出来ることを楽しみにしています。それは、きっと思いもよらないことだろうと楽しみにしています。

Thursday, September 20, 2007

ロンちゃんとの出会い




皆さん~こんにちは~^^

今日も私の友だちの“ロン”チャンの話をしたいですが、エントリのために写真を見ていると、懐かしい思い出が浮かんで涙が出るほど寂しくなります。。。

私がロンちゃんと初めに出会った所はインターネット市場でした。“がわいい小犬を4匹売ります”と掲示板を見た時は、“がわいいな~”と思っただけで、毎日このサイトーに尋ねて見ました。でも、“一番がわいい小犬2匹は新しい家族に会って、残りの2匹はまだ家族をお待ちます”と、書いていました。何日かの後、“もう一匹残りましたが、誰も連絡がないと、犬を育てて食べてしまう農園に親父が送るかも知れません!この犬を助けてください”と書いてありました。私はその最後通知のような掲示板を見て、この子を買おう!と決心しました。

でも、問題はやっぱり値段。韓国ではアパートに育てられる小犬は本当に高くて、また、動物病院にもいって検査と注射も受けないと駄目で、ずいぶんお金が必要になります。この犬だちも最初は3万円以上だったんですが、このロンちゃんは残りなので、2万円で安売りしていました。がわいいそうに。。。結局、私は一ヶ月間のお小遣いを全部出して、この主人と病院で会う連絡をしました。

1月の15日、とても寒かった冬の夜、ロンちゃんは私の温かい上着の中に抱かせて、私の家族になりました。