Friday, September 28, 2007

1リットルの涙











先、「1リットルの涙」というドラマをもう一度見ました。私は見るたび絶対泣いていまいた。また、泣きすぎて、化粧が毎回取れています。さてさて、粗筋を簡単に紹介します。
これは亜也と言う若い女性が中学生の時から死ぬまで何時も治らない難病と闘った物語です。

中学生の池内亜也と両親、そして3人の弟妹たち、亜湖、弘樹、理加は平凡ながらも楽しい毎日を送っていた。ある日、亜也は、同じ高校を受験する予定だった麻生遥斗と言う男子学生と偶然出会いました。 合格発表日、東高に入学した亜也だけでなく、遥斗とも同じクラスだった。中学校時代からバスケットボール部に所属していた亜也は親友とともに同校のバスケ部に入部しました。そこで、中学時代からの憧れの先輩が出会いました。しかし、そのとき、未来の夢を追いかけていた亜也の体には異変が起きていた。診断の結果は亜也が脊髄小脳変性症と言う病気になっちゃう。「脊髄小脳変性症」はとても残酷な病気だと言っても、大げさではないと思います。。箸がうまくもてない、よく転ぶといった症状から始まり、だんだん身体が動かない、話せない、最後は寝たまま死ねければなりません。つまり、自分ができないいことが一つ一つ増えていることがはっきり感じできます。いわゆるぼけの方が本人はいいのかもしれませんね。亜也は真実を聞いても、自暴自棄になることはなかったです。学校でよたよた歩く亜也は必死に頑張りしていました。また、友達は助けてくれた。しかし、亜也の歩くスピードはのろいので、よく授業に遅刻してしまう。亜也の世話に疲れたと言っている生徒もだんだん多くになりましたから、仕方がなくて亜也は養護学校に転校しました。養護学校の教師たちは、障害者の自立のため厳しかったです。 亜也は大学に入るために勉強していたが、それも卒業するころには出来なくなっていた。そして、病状が深刻になる一方ですか、亜也は相変わらず日記を書き続けました。また、何時も助けを出す遥斗もう段々亜也が好きになって、亜也も恋心が芽生えました。最後、人一倍、明るく優しい亜也は25歳の時、短い生涯を閉じしました。







私は主人公の明るさに本当に感動しました。「不幸じゃない。不便なだけだ。動けない。人の役にも立てない。でも生きたいのです。それでも行きたいのです。胸に手をおく。心臓がドキドキ動いている。嬉しいな!私は生きている。」(せりふ)勿論、病人の気持ちは病人にしかわからないです。しかし、自分ができることは一つ一つなっちゃってとても残酷なものではないか。この苦しさに面して、25年間の人生を生き抜いた亜也は死ぬまで希望していた「人の役に立つ仕事」に向けて勉強に取り組んでいました。

Thursday, September 27, 2007

“ロン”ちゃんの話


私の弟がロンちゃんをいじめっています!(弟は一緒に遊んでると言ったんですが。。。)自分の足の裏に乗せてからかっています。。。その理由だと思いますが、今はそんなにいじめられると急に噛み付いてしまうんです~^^;;;

かわいいでしょう~!!! 初めに家に来た時は、ロンは、まだまだ~赤ちゃんなので、このようにず~っと~寝ていました~~^^。(私も寝たい~^^;;)その時はロンちゃんの性格が素直だな~~思ったんですが勘違いだったんでした。

皆さん~ こんにちは~^^。

今日も私のロンちゃんについて話を続けたいですが、まず、先週の時に“ロン”ちゃんの名前の意味が何なのか、の質問がありまして説明します。実は“ロン”ちゃんの名前は“Jae-rong” です。韓国語では“才弄”とのほとんど似ている意味で、かわいらしいしぐさをする子に“Jae-rongi”と呼びます。私はロンちゃんがかわいい行動をたくさんして、家族に関心と愛情をもらったらいいな~、と思ったのでこの名前を付きました。他の質問に犬がそんなに高いですか、と聞きましたが、本当に韓国では犬が高いです。動物農場で大量販売のために飼って売る犬は地下鉄駅の前ですごく安売りしますが、こんな犬たちはすぐ病気で死んだり、雑種で大きくなったりしまうのでどういてもアパートで飼えなくなります。ロンちゃんのことは母も父も健康で純粋な“Maltese”という品種で本当にかわいいですが、ちょっと変ですが、犬なのに好き嫌いの自分の感情がはっきりしていて、気に入らないとよく吠えたり~噛み付きたりして性格がちょっとかんの強い(先生~この表現は正しいですか?)小犬です。

Wednesday, September 26, 2007

白い紙の正体

今日は、皆さん。このエントリーを待っていた人いればごめんなさい。今までロッグインが出来ませんでした。そして、僕のエントリーがいつも前より長くなって申し訳ありません。

今度は登場人物の台詞を括弧に入れてみました。僕はもっと分かりやすくすると思うけど、みなはどう思いますか。あるほうがいいですか。ないほうがいいですか。そんな大切じゃないことはどうでもいいですか。そしてもう一つの質問があるが、手袋があるとき何をしますか。着る?履く?かける?つける?

さてさて、話しに入りましょう。


一時間前ただの日常生活を過ごすつもりだった、とトレバーが思った。まあ、授業がつまらない時もあるし、クイズは一つ二つぐらいあるはずだったけど、そんなに大変じゃない存在だ。特にこれほど大変には絶対至らない。

クラスへ行かずに知らない目的地へ知らない女と一緒に高速で知らない誰かから逃げていた。そしてその誰かが銃を持って向こう見ず撃っていた。

一生初めて、トレバーは授業に行きたいと思った。

知らない女の車を見つけて、それに乗って、女は危ない速度で雷雨の中に運転していた。トレバーはしばらくその女の注意を逸らさないように黙ったが、好奇心に負けて話してしまった。

「あの~、そろそろ説明貰えるか。」

謎の女が聞かなかったように前から目を逸らさなかった。道に注意していたことにトレバーが感謝したが、やはり答えが欲しかった。でも、数秒後、女はこの返事をした。

「これを書いたとき、何を考えていた。」

それは何の説明でもない、とトレバーが思った。しかし、答えてから説明がいずれ来るかもしれないと思ったから、答えた。

「俺も知りたい。キーボードの上に寝ちゃうところだったから、何を考えてたか全然分かんない。でも、俺はただの大学生だから、何とか極秘情報とか大逆罪とか書いたはずがない。」

女が笑いながら、「そういう問題ではない」と言った。「思ったとおり何も分からないな。」

「だから説明しろ」と少し怒って言った。「この何も知らせないのをいい加減にしろ。」

謎の女がしばらく無言で考えて、「言霊と言うこと、知っている」と聞いた。

言うまでもないが、それは意外なことだった。「コトダマか」とトレバーは言った。「琴とと言うことか。琴を綺麗に弾いて、人の耳に玉の音が聞こえると言うことか。」

女が少しトレバーの方へ向いて、眉毛を上げた。「そんな言葉知ってるけど言霊って知らない」と信じられないと言う声で言った。

「じゃあ教授なさっていただけませんか」とトレバーが皮肉な声で言い返した。

「言葉の魂だ」と答えた。「古代の日本に、言葉に魂があってその魂に力がある、いわゆる言霊を信じた人が多かった。」

「俺の作文と何の関係がある、それ。」

「あ、琴の玉の音と関係があると思う」と謎の女がニヤニヤ言った。

女に睨みつけて、「まだ何も分かんないけど」とトレバーは言った。

その女は例の白い紙を取って、「この紙に言霊の力がある」と真面目な声で言った。

まあ、普通の人間の中にそれを聞いた直後に信じられる人いるだろうか。多分いないな。トレバーも同じだった。凄い皮肉な声で、「何の力がある」と聞いた。

「この雷雨を生み出す力」と以前と同じく真面目に言った。


その瞬間、もっと劇的にするために、稲妻が光った。しかし、トレバーを説得するのはまだまだだった。「雷雨は自然な物じゃ」とトレバーが言った。「自然に起こったはずだ。」

「天気予報に全然気をつけないの」と女は言い返した。「今日は必ず晴れだと言った。」

「天気予報、信頼できるもんか」とトレバーが言った。そしてもう一度好奇心に負けた。「あの~、まだ信じないけど、そんな物凄い力があるとしたら是非何を書いたか見たいな」と言って、紙の方へ手を伸ばした。

「触れるな」と言って、謎の女がトレバーの手を激しく叩いた。「危険すぎる。私は厚い手袋があるから触れられるが、お前は触れれば、何になるか分からない。」

トレバーは文句を言いたかったが、行き成り大切なことに気がついた。白い紙は長い間雷雨の中に持たれていたが、一滴も濡れていなかった。一体何を書いたかと思った。

「とにかく、力がありすぎるのでもう何も読めない」と白い紙をジャケットのポケットに入れながら言った。

「どうなる」とトレバーが聞いた。皮肉が完全に消失した。

「私も知らないよ。この紙を研究しないとだめだ。でも、見てのとおり、信じられないほど危ない物だ。」

信じられない物をだんだん信じるようになってきていたトレバーがこっくりうなずいた。「最悪は」と聞いた。

「まだ分からないが、地球を滅ぼすかもしれない」とそっと答えた。

「そんな」とトレバーが呟いた。「大袈裟すぎるじゃないか。」

しばらく窓の外を無言で見て、突然「危ない」とはっきり言った。

「当然危ない」と女が少し激怒して言った。「聞いていなかったの。」

「いや、そうじゃなくて、車を止めろ!」

一台の車が道を断ち切っていた。女がブレーキを早速掛けて、窓の外の前を見た。突然ドアが開けられて、雨着を着ている男が謎の女を掴んで車から引き出した。

「どこだ」と暴力っぽいな声で言った。「俺に渡せ!」

やれやれとトレバーは思った。今日は頭がおかしいだろうな。馬鹿な事ばっかりしてるね。そうっとドアを開けて、車の向こう側まで歩いていった。雨着を着ている男と女はまだ取っ組み合っていた。

これは世界を救うって事かと思った。獣のように声を上げて、激怒している牡牛のように男に突進した。勿論体力は獣や牡牛ほどなかったから、大きい結果を出すはずがなかったが、男は吃驚して女を放して、雨に躓いて落ちた。

「逃げろ」とトレバーが叫んだ。女は一秒だけ渋って、逃れ出た。

これは有留先生の授業をスキップするまで十分な言い訳になるだろうかとトレバーは思った。いや、そんなこと存在するわけはない。知らない女を助けたもっと重要な理由があるはずだと思ったが、直ぐに男に掴まれたからそれより深く考える余裕はなかった。

深い声は「これもいけるかな」と言った。「おはよう、トレバー君。」

トレバーがその声を知っていた。そして、相手に向いたとき、顔も見慣れていた物だった。

この雨着を着ている人は知らない人とは言えない。


続きを楽しみにしてください。

Tuesday, September 25, 2007

ホラー映画

先日僕は幼いときから俳優になりたかったとは言ったでしょ。それは事実でした。そのため、高校で毎学期の芝居に参加したし、演技の授業もいくつもとりました。大学の一年目と二年目にも演技や映画や映画音楽(音楽が好きだから)の授業もとったりしました。ワシントン大学でもいくつかの芝居のオーディションに行ったが、一つ度も入らせられなかったっす。少しずつ演技力の自信喪失になって、知らない間に熱心さも失せました。

ところが、僕の可哀相な話じゃないですよ。その熱心を失わなかったら、今の大好きなビジネスと言語の勉強にしたわけじゃないかもしれません。

それはそうと言っても、演技の興味は全部失せたもんじゃないっすよね。ですから、ことあるごとにセントルイスの各地で演技するようにしています。ゆえに、この前の土曜日の夜、ホラー映画のちょい役として演技しました。僕は映画で演技した事ありませんでしたから、とても楽しみでした。午後8時から、セントピーターズの小さい界隈で撮りました。着いてから監督と助監督に会って、無答責とリリースの協議書にサインさせられました。その後、他のちょい役(20人ぐらい)と外で待ちました。

暫くすると、監督に映画の筋立てを説明してもらいました。タイトルは「サクリファイス•ザ•フィアー」(Sacrifice the Fear)といって、ある意味で怪獣映画です。ある日、立て役の四人が突然に寝たのと違う場所に起き、追々に小さな底気味悪い町(だからセントピターズの小さい界隈で撮った)だと分かるようになります。その町が魔女で呪詛されてて、町民は毎年四人を人柱しないと「陰怪物」に全町民が殺されることも分かるようになります。ですから、その四人の立て役がまず町民と戦って、それから陰怪物とも魔女とも戦います。

ちょい役たちはその町民でした。最初は、立て役との荒事を撮りました。とても楽しかったです。何回も戦いのコリオグラフィーを練習してからいよいよ撮りました。戦いが終わったら、陰怪物に追いかけられるシーンでした。それは、町民の逃げてばかりのシーンでした。そのため、何回も長い時間で走ったので、かなり疲れました。でも、それはラストシーンでしたから、終わってから休めました。


概して言えばとても楽しい経験でした。様々な人に会ったし、初めて映画で演技した経験でしたから。

その上、映画が完成したらただにDVDをもらって、封切りにも誘われます。本当に楽しみにしてます!

とても長いエントリーになって、すみません! m(__)m

Monday, September 24, 2007

セントルイス雑記・その壱

*セントルイス人同士が始めて会う時、必ず「どこの高校に行きましたか?」とお互いに聞きます。(初授業で、デニスさんと私もこんな会話をしました。)

*セントルイスの名物は揚げラビオリです。セントルイスで行われた1904年の万国博覧会で綿菓子、ピーナッツバター、アイスクリームコーンとアイスティーは世界中で初めて売られたそうです。

*1904年のオリンピックもセントルイスで行われました。20世紀初頭セントルイスはアメリカで四番目に大きい都市でした。(今は50番目位です。)

*去年セントルイスはアメリカの中で一番危ない都市と呼ばれました。(ロスとシカゴに住んだことのある私はこの結果にあまり信用できないけど。)

*セントルイスの運転手はアメリカで礼儀正しいほうと呼ばれています。交通渋滞でのイライラ、車の運転中{うんてん に突然{とつぜん}キレることが少ないからです。(ロスとシカゴに住んだことのある私はこの結果を物凄く信じています。)

*セントルイスは昔フランスに統治されていたから、道や地域の名前にフランス語が多いです。しかし、フランス語のままに発音されている名前が一つもないと思います。例えば、Gravois通りはグラボワじゃなくてグラヴォイ、Creve Coeur市はクレーブクールじゃなくてクリーヴコールです。

*セントルイスをセントルイーと言う人は明らかに観光客です。

17歳の年にカリフォルニアにある大学に行って以来、セントルイスに長く住むことないので、セントルイスのくだらないトリビアなら分かるけど、最近流行っているレストランとか面白い所はあまり知りません。教えてー!! 

Sunday, September 23, 2007

僕と玄米パン


(はじめまして!オーステイン・ワンと申します。皆さんのブログを読んで、たいへん面白いと思います。今回のエントリーを書かせていただいて、ありがとうございました。これからもヨロシクね★)
「健康にいいから、さっさと食べなさいッ!」
両親にそう言われて、いろいろな言うに言われぬものを食わせられた。ことのほか印象に強く残っているのは、エキストラバージンオリーブオイルをたっぷり塗ったゆず。果物の酵素とDHAの合わせが身体に不可欠だと、なんとかかんとかの説明もついたのだろうが、その説明をもうすっかり忘れてしまったか、あるいは当時ちゃんと聞いていなかったから…
モチ論、わが身を大事にして、泡沫夢幻や有為転変のような四字熟語をきちんと書けるようになるまで果敢ない寿命を惜しんでいる。しかし、いくら健康にいいと言っても、苦しくなるほどマズイものを食べたくはない。
最近、様々な新しい健康商品がたくさん出たに気づいて、たとえば、暇をつぶしてWhole Foodsを逍遥しながら、Authentic Tibetan Himalayan Dried Goji Berriesも発見した。それはすごいことだと思って、むかし母がGojiの果実で作った超不味い汁を思い出して、Gojiをスナックとして食べるなんて信じられなかった。ほんとに食えるのかと疑って一袋を買って帰ったのだが、じじつ、かなりおいしいと思った。なお、ミルクチョコ、ダークチョコ、ヨーグルト、Trail Mix、種々のバージョンも発売され、伝統的な西蔵人のようにGojiの果実を食べて楽しめるようになっているのだ。まさに、Gojiやバターのにおいが非常に強いアサイの果実などのような、異国風にエキゾチックなスーパーフードが人口に膾炙する。
それでも、このように育てたためか、自分の性格のためか、たとえば「1日30品目」に無理にこだわったりして、味なしの玄米パンの生活をつづけている。儚き世にでも、僕の性格や悪いクセだけは変わらないかなと思っている。いつか、多彩なクロカンブッシュやミルフィーユの日々キボーンo(゚◇゚)oワクワク

Saturday, September 22, 2007

インドネシアの自然環境

皆さん!こんにちは~いよいよ待っていた週末ですね~この週末に何か特別なことしますか?

今度はインドネシアはどんな国なのか簡単に紹介します。

インドネシアは東南アジア国家中の1つ、マレーシアの南、オーストラリアの北側に位置します。 地図で見るとそんなに大きく見えませんが、実は東方から西方の距離がアメリカと同じです。それに世界で一番大きい群島です。なんと17,000個の島でつくってあります。インドネシアの人口も二億三百万が超えてアメリカの次に多いです。言語はインドネシア語です。マレーシア語とは似ていてアメリカの英語とイーグリスの英語が違うぐらいです。

赤道(EQUATOR)の上にあって一年中ずっと夏です。年中平均温度は80度ぐらいです。確かに季節は1つしかありませんが、笑わせるのはインドネシア人に聞いてみると必ずインドネシアの季節は2つありますよといいます。何で二つと聞いたらインドネシアはDRYRAINY SEASONがあると言い張ります。ほかの季節がないので確かに一方ではつまらない画も知れませんが、その理由でインドネシアでは木が早く育つし、資源が豊富です。多分そうじゃなかったら僕の父を初め、僕の家族は最初からインドネシアに行かなかったはずです。僕の父はインドネシアで合弁とENGINEERED WOODの工場を運営しています。僕が小学生の時はインドネシアに暮らしているのがあまり好きじゃなかったんです。確か韓国に住んでいたら子供として遊びに行くところも多いし、どこに行っても面白い物ばかりだし。。でも僕は今思い返すと僕がインドネシアで成長してとてもよかったと思います。インドネシアで国際学校を行って韓国にいる僕の年頃の生徒のように入試地獄を経験する必要はなかったんです。また勉強の意外に大事な経験をたくさんする機会がありました。僕の中学校と高校はアメリカとヨーロッパの授業方式に教えたので、僕は当然に勉強もしながら放課後の特別活動も熱心にしなくちゃいけなかったんです。僕は奉仕活動のクーラブと旅行クーラブの一員でした。クーラブを通じて僕は僕の周りの人はどんなに大変な環境で生きているか、またこの世界は本当に行くに値するところが多いなのかを感じました。