Tuesday, September 25, 2007
ホラー映画
ところが、僕の可哀相な話じゃないですよ。その熱心を失わなかったら、今の大好きなビジネスと言語の勉強にしたわけじゃないかもしれません。
それはそうと言っても、演技の興味は全部失せたもんじゃないっすよね。ですから、ことあるごとにセントルイスの各地で演技するようにしています。ゆえに、この前の土曜日の夜、ホラー映画のちょい役として演技しました。僕は映画で演技した事ありませんでしたから、とても楽しみでした。午後8時から、セントピーターズの小さい界隈で撮りました。着いてから監督と助監督に会って、無答責とリリースの協議書にサインさせられました。その後、他のちょい役(20人ぐらい)と外で待ちました。
暫くすると、監督に映画の筋立てを説明してもらいました。タイトルは「サクリファイス•ザ•フィアー」(Sacrifice the Fear)といって、ある意味で怪獣映画です。ある日、立て役の四人が突然に寝たのと違う場所に起き、追々に小さな底気味悪い町(だからセントピターズの小さい界隈で撮った)だと分かるようになります。その町が魔女で呪詛されてて、町民は毎年四人を人柱しないと「陰怪物」に全町民が殺されることも分かるようになります。ですから、その四人の立て役がまず町民と戦って、それから陰怪物とも魔女とも戦います。
ちょい役たちはその町民でした。最初は、立て役との荒事を撮りました。とても楽しかったです。何回も戦いのコリオグラフィーを練習してからいよいよ撮りました。戦いが終わったら、陰怪物に追いかけられるシーンでした。それは、町民の逃げてばかりのシーンでした。そのため、何回も長い時間で走ったので、かなり疲れました。でも、それはラストシーンでしたから、終わってから休めました。
概して言えばとても楽しい経験でした。様々な人に会ったし、初めて映画で演技した経験でしたから。
その上、映画が完成したらただにDVDをもらって、封切りにも誘われます。本当に楽しみにしてます!
とても長いエントリーになって、すみません! m(__)m
Monday, September 24, 2007
セントルイス雑記・その壱

*セントルイス人同士が始めて会う時、必ず「どこの高校に行きましたか?」とお互いに聞きます。(初授業で、デニスさんと私もこんな会話をしました。)
*セントルイスの名物は揚げラビオリです。セントルイスで行われた1904年の万国博覧会で綿菓子、ピーナッツバター、アイスクリームコーンとアイスティーは世界中で初めて売られたそうです。
*1904年のオリンピックもセントルイスで行われました。20世紀初頭セントルイスはアメリカで四番目に大きい都市でした。(今は50番目位です。)
*去年セントルイスはアメリカの中で一番危ない都市と呼ばれました。(ロスとシカゴに住んだことのある私はこの結果にあまり信用できないけど。)
*セントルイスの運転手はアメリカで礼儀正しいほうと呼ばれています。交通渋滞でのイライラ、車の運転中{うんてん に突然{とつぜん}キレることが少ないからです。(ロスとシカゴに住んだことのある私はこの結果を物凄く信じています。)
*セントルイスは昔フランスに統治されていたから、道や地域の名前にフランス語が多いです。しかし、フランス語のままに発音されている名前が一つもないと思います。例えば、Gravois通りはグラボワじゃなくてグラヴォイ、Creve Coeur市はクレーブクールじゃなくてクリーヴコールです。
*セントルイスをセントルイーと言う人は明らかに観光客です。
17歳の年にカリフォルニアにある大学に行って以来、セントルイスに長く住むことないので、セントルイスのくだらないトリビアなら分かるけど、最近流行っているレストランとか面白い所はあまり知りません。教えてー!!
Sunday, September 23, 2007
僕と玄米パン

(はじめまして!オーステイン・ワンと申します。皆さんのブログを読んで、たいへん面白いと思います。今回のエントリーを書かせていただいて、ありがとうございました。これからもヨロシクね★)
「健康にいいから、さっさと食べなさいッ!」
両親にそう言われて、いろいろな言うに言われぬものを食わせられた。ことのほか印象に強く残っているのは、エキストラバージンオリーブオイルをたっぷり塗ったゆず。果物の酵素とDHAの合わせが身体に不可欠だと、なんとかかんとかの説明もついたのだろうが、その説明をもうすっかり忘れてしまったか、あるいは当時ちゃんと聞いていなかったから…
モチ論、わが身を大事にして、泡沫夢幻や有為転変のような四字熟語をきちんと書けるようになるまで果敢ない寿命を惜しんでいる。しかし、いくら健康にいいと言っても、苦しくなるほどマズイものを食べたくはない。
最近、様々な新しい健康商品がたくさん出たに気づいて、たとえば、暇をつぶしてWhole Foodsを逍遥しながら、Authentic Tibetan Himalayan Dried Goji Berriesも発見した。それはすごいことだと思って、むかし母がGojiの果実で作った超不味い汁を思い出して、Gojiをスナックとして食べるなんて信じられなかった。ほんとに食えるのかと疑って一袋を買って帰ったのだが、じじつ、かなりおいしいと思った。なお、ミルクチョコ、ダークチョコ、ヨーグルト、Trail Mix、種々のバージョンも発売され、伝統的な西蔵人のようにGojiの果実を食べて楽しめるようになっているのだ。まさに、Gojiやバターのにおいが非常に強いアサイの果実などのような、異国風にエキゾチックなスーパーフードが人口に膾炙する。
それでも、このように育てたためか、自分の性格のためか、たとえば「1日30品目」に無理にこだわったりして、味なしの玄米パンの生活をつづけている。儚き世にでも、僕の性格や悪いクセだけは変わらないかなと思っている。いつか、多彩なクロカンブッシュやミルフィーユの日々キボーンo(゚◇゚)oワクワク
Saturday, September 22, 2007
インドネシアの自然環境
皆さん!こんにちは~いよいよ待っていた週末ですね~この週末に何か特別なことしますか?
今度はインドネシアはどんな国なのか簡単に紹介します。
インドネシアは東南アジア国家中の1つ、マレーシアの南、オーストラリアの北側に位置します。 地図で見るとそんなに大きく見えませんが、実は東方から西方の距離がアメリカと同じです。それに世界で一番大きい群島です。なんと17,000個の島でつくってあります。インドネシアの人口も二億三百万が超えてアメリカの次に多いです。言語はインドネシア語です。マレーシア語とは似ていてアメリカの英語とイーグリスの英語が違うぐらいです。
赤道(EQUATOR)の上にあって一年中ずっと夏です。年中平均温度は80度ぐらいです。確かに季節は1つしかありませんが、笑わせるのはインドネシア人に聞いてみると必ずインドネシアの季節は2つありますよといいます。何で二つと聞いたらインドネシアはDRYとRAINY SEASONがあると言い張ります。ほかの季節がないので確かに一方ではつまらない画も知れませんが、その理由でインドネシアでは木が早く育つし、資源が豊富です。多分そうじゃなかったら僕の父を初め、僕の家族は最初からインドネシアに行かなかったはずです。僕の父はインドネシアで合弁とENGINEERED WOODの工場を運営しています。僕が小学生の時はインドネシアに暮らしているのがあまり好きじゃなかったんです。確か韓国に住んでいたら子供として遊びに行くところも多いし、どこに行っても面白い物ばかりだし。。でも僕は今思い返すと僕がインドネシアで成長してとてもよかったと思います。インドネシアで国際学校を行って韓国にいる僕の年頃の生徒のように入試地獄を経験する必要はなかったんです。また勉強の意外に大事な経験をたくさんする機会がありました。僕の中学校と高校はアメリカとヨーロッパの授業方式に教えたので、僕は当然に勉強もしながら放課後の特別活動も熱心にしなくちゃいけなかったんです。僕は奉仕活動のクーラブと旅行クーラブの一員でした。クーラブを通じて僕は僕の周りの人はどんなに大変な環境で生きているか、またこの世界は本当に行くに値するところが多いなのかを感じました。
Friday, September 21, 2007
アメリカ留学後、一か月の感想
Thursday, September 20, 2007
ロンちゃんとの出会い
今日も私の友だちの“ロン”チャンの話をしたいですが、エントリのために写真を見ていると、懐かしい思い出が浮かんで涙が出るほど寂しくなります。。。
私がロンちゃんと初めに出会った所はインターネット市場でした。“がわいい小犬を4匹売ります”と掲示板を見た時は、“がわいいな~”と思っただけで、毎日このサイトーに尋ねて見ました。でも、“一番がわいい小犬2匹は新しい家族に会って、残りの2匹はまだ家族をお待ちます”と、書いていました。何日かの後、“もう一匹残りましたが、誰も連絡がないと、犬を育てて食べてしまう農園に親父が送るかも知れません!この犬を助けてください”と書いてありました。私はその最後通知のような掲示板を見て、この子を買おう!と決心しました。
でも、問題はやっぱり値段。韓国ではアパートに育てられる小犬は本当に高くて、また、動物病院にもいって検査と注射も受けないと駄目で、ずいぶんお金が必要になります。この犬だちも最初は3万円以上だったんですが、このロンちゃんは残りなので、2万円で安売りしていました。がわいいそうに。。。結局、私は一ヶ月間のお小遣いを全部出して、この主人と病院で会う連絡をしました。
1月の15日、とても寒かった冬の夜、ロンちゃんは私の温かい上着の中に抱かせて、私の家族になりました。
Wednesday, September 19, 2007
雨着を着ている人
これは誰の馬鹿のアイデアだったかとトレバーは思った。追いかけていた人は思ったよりずっと速かった。トレバーはほとんど足の体操をしていなかったから、長距離競走に全然向いていなくて、直ぐ倒れると感じた。そして雷雨のお陰で歩道は凄く濡れていたから、疲れなくても躓いて落ちる可能性も高かった。所詮苦肉の策で声を上げてお~いと叫んだ。
意外にその策略は成功した。雨着を着ていた人が驚くほど行き成り止まった。一方で、トレバーが躓かないようにじっくり止まろうとしたけど、水溜りに踏んでぎこちなく落ちた。
あの~とぜいぜい言った。それは私の紙だと思いますが。
トレバーが上に向かって、吃驚した。追いかけていた人は女性だった。どうして男だと思ったか分からなかったけど、吃驚した。雨着を着ていたし雷雨の下で全然陽光がなかったから格好見えなかったけど、背の高い女性だった。稲妻が光った時、眼鏡を掛けている無表情の女だと言うことも分かった。
何を言っているとそんな女が薄情な声で言った。これは私の物だよ。
へ~とトレバーは泣きそうな声で自分に言った。そんな。どうしてここまで走ってきたか、阿呆。
馬鹿なことするなとそんな女が言った。これはお前の宿題じゃない。帰れ。
雨着を着ていた女は元の方へ向かった。トレバーが立ち上がって、あの~、僕は宿題とは言わなかったけどと言った。
謎の女はゆっくりと振り返った。真面目な表情が崩壊して、ただの何の迷惑だ、これと言う顔になった。しまったと自分に言った。
それは俺の宿題だとトレバーが叫んだ。返せ。
返せないとそんな女が答えた。
返せ!
返せない!
勿論、この二人は怒って互いに出来るだけ大音声で話し合っていた。しかし、怒らなくても多分叫ぶはずだった。雷はそんなに煩かったから。
それは授業の為の大切な宿題だとトレバーは言った。提出しなくちゃ大きい問題だぞ。
授業は大切じゃないとそんな女が返事した。そんなどうでもいい事を考えてるの。その馬鹿なことよりずっと大事な物だよ。
でも俺が作った作文だ。そして深夜まで無理して書いたもんじゃ。お前が取って行く権利全然ねえ。返せ!
雨着を着ていた女の表情は突然変わって、好奇心が強い顔になった。少しだけニヤニヤして、白い紙を手で上げて、これは本当にどんな物か知らないなと言った。
簡単な質問だったけど、相手の言い方のお陰でトレバーは自信なく俺の作文だけどとしか答えられなかった。
女の顔が無表情に戻った。違うよ。これは。。。
その瞬間、銃声が鳴った。
しまったとそんな女が言った。誰かが銃を何発も撃っていた中にトレバーを肩で掴んで止まった車の後ろに投げてそこで蹲った。見つけられたと急に言った。私と一緒に来るしかない。
ハッとトレバーがオロオロ言った。どうして。
その銃を勝手に撃ってる人に捕まえられて欲しいの。危険すぎる。私を付いていって。
あの~、いつか説明貰えるだろうか。
雨着を着ていた女の顔は迷惑をかけているよと言うのにもう一度変わったけど、時間があったら説明すると返事した。多分お前に知る権利があるだろう。
女は逃げる準備として八方に見ていた。トレバーはもう一つ聞きたいのがあるがと言った。
何。
授業に間に合うと思うか。
もう一回ニヤついた。間に合わないだろうと謎の女は答えた。ボンネットから見て、行こうと言って踏み切った。
走りながら、トレバーが畜生と言った。やっぱり有留先生に打っ飛ばされちゃう。
続きを楽しみにして下さい。