Monday, October 29, 2007

オンライン・アーカイブ

授業でフェースブックの記事を読んだ時、「2006年はユーチューブの年で、2007年はフェースブックの年」と言われました。2008年はオンライン・アーカイブの年となるでしょうか。

最近ニューヨーカー雑誌で、ゴードン・ベル氏と言うマイクロソフトの研究者の面白い企画についての記事を読みました。1998年からベル氏が大事である書類や写真から些細な記念品まで全部スキャンして、コンピュータに保存し始めました。自分が書いたメールや本、健康管理歴、旅行日記、録音された電話の会話などは、現在デジタル保管庫に入っています。2001年から保存活動に加えて、「ライフログ」を作る行動を始めました。今、何処に行っても「センスカム」という小さな画像や音を記録する装置を首にかけています。自分史を集める上に、起きたことのパターンを析出来るために人生の総てを保存しようとしています。

関連質問:

*マイクロソフトは最近フェースブックと広告を提供する独占契約を結びました。これからのフェースブックは「人間関係の地図作成者」だけではなく、「個人電子保管所」になりますか。

*「イターナル・サンシャイン」という映画にあったラクナ社みたいな会社は実在しますか。そんな会社は、例えば、彼氏と別れた後、彼が自分のアーカイブに入っている部分を全部消去してくれます。要するに、彼のことを意識{いしき}から抹消{まっしょう}します

*こんな技術は夫婦喧嘩にいい影響を与えますか。それとも、悪影響?

*普段の人間関係にどんな影響を及ぼしますか。人と会うたびに録画されている感覚をきっかけで、気持ちを演じるのに上手な人が増えますか。人間は何でも見せていい派と建前しか見せない派にもっとはっきりに分けますか。

*愛する人を失った後、その人の「ライフログ」を繰り返して見るのに引っ込む人が多くなりますか。

*センスカムが禁じられている空間クラブの主人は儲かるでしょう。

Sunday, October 28, 2007

あみのっちのオペラグラス

皆さん今晩は。週末はどうだった?私は、急にシカゴの家内の実家へ行くことになり、さっき戻ったところなのだ。この前のコスタリカの話がまだ終わっていないのだが、今回はシカゴからの帰り道いろいろ考えたことについて書くことにする。ちょっと長くなったが、頑張って読んでほしい。

どういうわけか、中学2年の時に急に視力が落ちた。それまでは目だけはよかったのだが、この年を境に、何の前触れもなくがくんと目が悪くなってしまったのだ。目が悪い生徒はなるべく前の方の席に座ることにはなってはいたのだが、私は背が高かったので、前の席には座れなかった。メガネをかければそれですむことなのだが、当時はどうしてもメガネをかけることに抵抗があった。だって、メガネをかけ始めた友達が「メガチュウ」と呼ばれたりしたのだ。もし私がメガネをかけることにでもなれば、特製のあだ名を献上されるのはまず間違いのないところだ。「メガ留」とか「有メガ」。挙句の果てに「メガ留メガお」などというフルネームで呼ばれちゃうかもしれないのだ。そんな事態は絶対避けなくてはならない。だから私は、「また視力が急に回復するのでは」という甘い夢を見ながら、メガネは断固拒否していた。しかし、見えないものは見えない。先生によっては何でそこまでというくらい小さな字をお書きになる方や、ものすごく乱暴な字を書きなぐる方(私も他人のことは言えないが)などいらっしゃった。「ここはとても大切なポイントだぞ!試験にも出すからな!」などと言われれば、いくらずぼらな私でも、一字ももらさず書き写したくなる。困った私は、妹のあみのっちのオペラグラスを黙って持ち出し、それで黒板の文字を見ることを思いついた。早速実行してみると、これがなかなかの名案だった。見えにくかった黒板の文字がばっちり見えるだけでなく、先生のチョークを持つ指先の小さな傷まで見える感じなのだ。「これはいいぞ。頭いいなあ、俺って」私は小躍りしたくなるような気持ちだった。

あのころ私が好きだった授業の一つが、S先生の国語だった。S先生はものすごく厳しい(と言うよりは怖い)年配の女教師だったが、私は結構S先生の授業を楽しみにしていた。S先生は実に几帳面な板書をなさる方だったので、私は例の秘密兵器「あみのっちのオペラグラス」を取り出した。私はオペラグラスを使って黒板の文字を確認することを特に悪いことだとは思ってはいなかったが、何となく先生の目に触れないようにはしていた。厳しいS先生ならなおのこと気をつけていた。しかし、だ。突然先生がこちらを振り返ったのだ。S先生のやや小さめの目が見る見る三角に変わっていくのが、オペラグラスを通してはっきり確認できた。「誰だ?オペラグラスなんかで黒板を見ているのは?ふざけるのも大概にしろ!」有無を言わさぬ調子で先生は怒鳴り始めた。「黒板の字が見えなかったので、仕方なく…」などという私の言葉に耳も貸さず、もうただ一方的に「お前は授業を侮辱している」という罵詈雑言を浴びせかけるのだった。オペラグラスで黒板の字を追ったというのは、ものすごく失礼な行為であり、先生をかくも不愉快な気分にさせてしまったという点に関しては、私は自分の非は潔く認めよう。なんたって先生に見つからないようにしていたくらいなのだから、自分でも少々やましい気持ちはあったのだ。だが、私の(正確にはあみのっちの)オペラグラスは、私の前向きな意欲の表れでもあった点だけは分かっていただきたかった。私はS先生の板書を逃したくない一心だったのである。先生の授業に熱心に耳を傾け、板書を一字も書きもらさないようにと頑張っていたのだ。そんな私の「やる気」から出た行為が、ただ単に「失礼ないたずら」としてだけ糾弾されてしまったのだ。私は案外お人よしな人間である。中学生のころはもっとそうだったと思う。だから怒られれば、大概の場合は「すみません」と言う。しかし、このときばかりは「すみません」とは言えなかった。目を三角にして一方的に私をなじりつづけるS先生を見ながら「そうかよ。そんならもういいよ」と、どんどん冷めた気持ちになっていったのを今もはっきりと覚えている。それからしばらくの間、私は国語への興味を失った。

実は、シカゴからの帰り道、車を走らせながら考え続けたのは、先週の火曜日の授業で「あみのっちのオペラグラス」と同じことが起こっていたのではないかということだった。あの日、授業の準備をしてこなかった学生に、理由を聞くこともせず、「きちんと予習をしてきている学生もいるのだから今日は出席点はあげられない」と言った私は、あのときのS先生ではなかったかと。「でも、先生…」と言いかけたマイケルさんは、「この設問だけはやっていなかったのです…」と言ったワンさんは、あのときの私ではなかったかと。「あみのっちのオペラグラス」を、今度は先生役になって繰り返してしまったのではないかという思いが、シカゴからの帰り道、私の心を暗くした。

金曜日にばったりチュンさんに会い、いろいろ話した。チュンさんは、「スケジュールを確認せずに授業に来てしまったのは100%私達が悪いのです。でも、私たちは先生にやる気のない学生と思われたのが本当に悲しかったのです」と言っていた。よくよく聞けば、チュンさんやマイケルさんは私のスケジュールのアップロードが少し遅れたので、きっと模擬面接を振りかえってのディスカッションや中間試験の講評をするのだろうと思い込んでいたということだった。なるほど、そうだったのか。それは無理からぬ話でもある。実際、私もそれを考えないではなかったからだ。でも、あの時はクラスの大半が課題をきちんとやってきていないことに驚き(だって、こんなことこれまでに一度もなかったから)、このままでは学期後半の授業が運営できないぞということだけが頭にあったのかもしれない。締めるべきところは締めなければならいと思った私は、あえて強めの言葉を選んだのだった。結果、ちょっと一方的な厳しい言い方になってしまい、みんなを「やる気のない学生」と一方的に決め付けることになってしまったのかもしれない。「どうしたんだ?」ともう少し聞いてみてもよかっただろうと今は思う。

知っての通り、私は、何でもかんでも学生の言うことを聞き入れますなどと言うつもりは毛頭ない。5年生の授業に関する全責任を負っているのは私だからだ。だけれども、いつでも学生の意見には耳を傾ける用意はある。それぞれの学生の言い分を聞いた上で、バランスを考え、最終的な判断をしていきたいと思っている。だから、みんな、これまでどおり遠慮せずにいろいろ言ってほしい。「先生、本当に大変なんです」と泣きついても、「はいはい。頑張ってね!」と言うだけかもしれないし、「なるほど、じゃあ、もう少し考えようかね」と言うかもしれない。でも、みんなの言うことを、とにかく聞くだけは聞くつもりだ。

その後あみのっちのオペラグラスをどうしたか、全く思い出せないけど、あの日の苦い思いだけはまだ胸に残っている。

Friday, October 26, 2007

ごくせん




皆様、今日の金曜会はどうですか?私は今、図書館でアルバイトをしています。大変ですね。でも、仕方がないですから。

また、以前の話を続きましょう。「ごくせん」と言うドラマを見たことがありますか?

「ヤンクミ」は白金学院34組担任先生です。実は、彼女は「大江戸一家」のお嬢さんです。そういう事実がばれると、教師は絶対にならないですから、自分の正体を隠して白金学院で続けて働きます。クラスで唯一ヤンクミの正体を知る沢田慎は白金学院34組のリーダーです。彼はいたずら子ですけど、実は心が優しいです。退学させられそうになるが、ヤンクミのお陰で、学校に残ることになりました。

また、クラスの中で、熊とか内山春彦とか、学生達の個性がばらばらですが、本当に「手を焼く仕事」です。

この間、沢田慎は段々ヤンクミが好きになって、卒業したら告白するつもりです。他の人の目の「不良少年」は、本当にそうですか?ヤンクミの秘密はいつまでも守られますか?

「不良少年」たちは順調に卒業できますか?沢田慎とヤンクミの関係はどうなりますか?

皆様、自分は見てみましょう?

Thursday, October 25, 2007

韓国のサイワールド(Cyworld)

今日は~ 今日はロンちゃんの話より、韓国のフェースブックなような“Cyworld”を紹介します。機能はすこし違うかもしれませんが、大学生の中心でブームなっていて、学生たちがオンライインの中で、いろんな自分の個人的な話を共有することなど、たいてい同じです。私はここ、St. Louis.にきた後には、全然友だちと連絡する時間がありませんが、時々友だちのCyworldに訪ねて友達の生活をのぞいています。

韓国のインターネットの普及は世界に一番で、アメリカよりもっとも優れています。どの国よりも低料金と超速度でインターネットが使われています。それで、私はアメリカにきたばかりに、インターネットの設置の時、3MBで40$だと聞いてビックリしました。韓国はもう100MBを20$以下の料金で一般的に使っています。それで、フェースブックと似たようなCyworldだけではなく、いろんな活動がインターネットを通じて進まれています。私はブログに素敵な写真を見せたいのに、今はカメラもなし、撮る時間もないので少し悩みましたが、彼女のCyworldが思い出しまして、あそこから写真を持ってきました。

この人は私の友だちです。彼女は韓国の医者です。高校生の時代からもう10年間あまりに一緒に勉強したり、喧嘩をしたりしながら、本当に親しくなった私のベスト友だちです。私が留学する前には、彼女と私の最後になるかもしれない、二人だけの“北海道の旅行”を行って来ました。その時、洞爺湖の露天温泉にも行ってみましたが、あみーさんが行ったような素敵な所ではありませんでした。



韓国は友だちのためにお金を代わりに払ってくれる場合がどんどんあります。その北海道の旅行は本当に高かったので、 彼女は、留学の準備で貯金している私のために費用を全部肩代わりして、私の無料で旅行しました~^^* もう一度、彼女と旅行したいですね~~^^;;;

大鳥公園の写真です。昼よりは夜にもっときれいだったんです~~^^*

Wednesday, October 24, 2007

団長の登場

皆さん、今日は。久しぶりの話の続きです。一週間の休みがあった所為でサスペンスが高まったでしょうか。


立て

フリードマンが瞬間に泥の池から立った。地面はまだ随分濡れていたが、空は完璧に青くて、雲は影も形もなかった。

「雷雨はどうなった」とフリードマンが自分に囁いた。

「あいつらはもう封印したみたいだ、その紙。」

これは立てと言ったと同じ声の台詞だった。フリードマンはその時まで他の人がいるとまだ気がつかなかった。周りを見ると、そばに誰かが立ち止っていた。一秒後その人の外見が分かって、目が丸くなった。

「団長!」

泥の中にいたのに、分かった直後跪いて手も額も地面まで押した。「許してください、団長」フリードマンが惨めに嘆願した。「紙も失って、小僧も逃してしまった。その言霊使いの女が私を吃驚させた。今度は失敗したが、これからそういうこと絶対二度起こらない。」

「心配するな」と他の人が言った。その人の声はフリードマンのよりも深くて、晴れの日には気になるほど不自然だった。「実は失敗ではなかったから許してやる。勿論、失敗だったらもう首だが。」

とんでもない怖い話だったが、フリードマンは団長からそういう事を聞くのに慣れたから、戦慄など全然しなかった。「どうもありがとう、団長。」

「立てと言ったではない」とその団長が少しむしゃくしゃして言った。「泥に時間を無駄遣いのを止めろ。」

「はい。」フリードマンが早速立った。「団長、失敗じゃなかったとおっしゃったけど、それはどういう意味か。」

その団長は半分ぐらい何の答えもしなかったから、フリードマンはもう一度「団長」と言った。

以前よりもっとむしゃくしゃしていたように、「この晴れた天気は大嫌いだ」と言った。謎さんと同じように文字を泥になぞった。勢いで足元でなぞったが、靴に泥の跡形はなかった。実は、フリードマンがそういうことで団長が分かった。雲がなくてもその人の顔が分かりにくかったが、泥の池まで歩いたにもかかわらずスーツも黒い靴も全然濁っていなかったから、あ、団長に違いないと分かった。

雷雨」と団長が強力な声で言った。

間も無く雲が空に戻って、一分待たずにまた凄い雷雨の中にいた。「不気味でいい」と団長が満足げに言った。

フリードマンは大体団長の奇癖に慣れていたが晴れた天気を続かせていいのにと思った。「あの、団長、紙を失うのが失敗じゃないとおっしゃったが。」

「そうだ。最初からその紙は目的ではなかった。ただの気を散らさせる事だった。」

フリードマンはイライラした。「団長、それは私に前に教えて欲しい物だよ。」

「いや、お前はいい俳優ではないから、分かったら計画をうっかり漏らしてしまう可能性が高すぎる。」

「分かった」フリードマンがため息をつきながら言った。「じゃ、紙を奪う事はしないか。」

団長は「勿論その紙に力があるが、それは我々の目的ではない」と真面目な声で言った。団長はいつも真面目だったが、時々強調が必要だ。

「じゃ、その小僧も。」

「その小僧という呼び方を止めろ。同じ年齢ではないか。」

「はい。その学生も目的じゃないか。」

団長はちょうどいい不気味な雷を待って、「それは後で決める事だ。」



続きを楽しみにしてください。

Tuesday, October 23, 2007

日本の形

「日本の形」というのは、お笑いグループのRahmensたちが作った日本の伝統的な事を説明する短編映画のシリーズです。Rahmensはアメリカの有名な「マック対ピーシー」のアップルのCMと同じように日本でCMを作ったおかげで、日本で人気になったものです。皆さんは興味が会ったら、ここにクリックしたらRahmensのCMを見られます。(アメリカのCMを見た事なかったら、ここにクリックしたら見られます

初めて見たとき、思わずに笑うままで見たが、東京で友達と遊んでからまじめに日本人の本性を発表する事だと気付きました。

例えば、お寿司を食べに行く度、いつもお寿司屋さんに「大将、何かおすすめは?」と言って直接注文したりしました。お酒をさすときも「まぁ、まぁ、まぁ」と言ったりする事もありましたね。Rahmensたちが、そういう習慣などを全部纏めて、日本の風刺した「日本の形」を作ったものです。

鮨(寿司)




折り紙お盆休み夏休みおにぎりお茶謝罪、と手締めも込みです。面白いし本当に勉強になるので、時間があったら見てみてください。

Monday, October 22, 2007

温泉巡り・その弐

前回の温泉紹介の続きです...

③ 角館から北へ行って、日本一深い湖の田沢湖を通ったら、秋田県の有名な乳頭温泉と言う秘湯に着きます。

乳頭温泉は一つの温泉の名前ではなくて、その地域を点在する七つの温泉の呼び名です。挑発的な名前の由来は、遠くから見れば名前のままの形をする乳頭山だそうです。

秘湯の中で一番端子にある孫六温泉に行ってみました。車で入り口まで行けないほどの隠れている所です。駐車場に車をおいて、山道で5分ぐらい歩いたら、やっと入場できます。

川辺にある孫六温泉は明治時代からの湯治場です。混浴風呂も男女別に仕切られた、いくつかの湯小屋があります。シャワーや電気などないから静かで鄙びた雰囲気がします。

入湯した日に、雑誌の取材で乳頭温泉に訪問している方と出くわしまた。私は湯小屋を回って入る時に、一つの小屋を出た瞬間にカメラマンがすぐ写真を撮りに入りました。追いかけられている気がしました。 ()

④ 北海道の函館市から一時間北にある銀婚湯は今まで一番気に入った温泉です。

此処も面白い名前の由来があります。温泉が掘り当てられた日は大正天皇の銀婚式だったので、温泉建設した夫婦の銀婚式の祝いを重ね合わせて、銀婚湯と命名しました。

銀婚湯で日帰りの入浴はありますけど、一番綺麗なお風呂は宿泊客しか使えません。宿の後ろにある川の揺れる吊り橋を渡ったら、三つの貸し切り露天風呂に行けます。他の所と違って、湯小屋の間の距離は結構あります。一番遠いお風呂は橋から見れなくて、着くのに5分ぐらいかかりました。

宿泊料は旧館で、一泊二食で1万円ぐらいでした。銀婚湯の料理はあまりにも美味しくて、夕食だけで1万円の満足できました。地元の素材と新鮮な魚・野菜を使った創作料理でした。朝食にも気合を入れた盛りだくさんの食事を出してくれました:

綺麗で自然が感じられる温泉を探すなら、日本の秘湯を守る会はいい情報源です。会員の銀婚湯は代表的であれば、「日本の秘湯」のガイドブックに載っている温泉に全部行ってみたいな。