Sunday, November 11, 2007

Bless you!

アメリカに渡ってきてまず驚いたのが、人々のマナーのよさだった。正直、こちらに来る前は、アメリカは個人主義の(全体の「和」よりも個人の価値観や考え方が優先される)国だという先入観があり、あまり他人のことを思いやるような習慣はないのだろうなあと、ものすごく乱暴に考えていたように思う。こちらに来たばかりのときは、どんなことをされても対応できるように、なんとなくいつも身構えているようなところがあった。

だから、街中やビルの中ですれ違う人と目をあわすときなど、全然知らない人なのにもかかわらず、「ハイ!」とか、「やあ!」と言う感じで会釈してくれるのにはちょっと驚いた。日本にはもちろん、このような習慣はない。私たちは必要以上に他人の顔を見るのを避けるようなところがあり、見知らぬ人と目があったりすると、なんだか気まずかったりする。それどころか、「目があった」というだけで、「何だこの野郎!じろじろ見やがって!」ということになったりすることもあるのでけっこう大変なのだ。そのため、見知らぬ人にこんな風に笑顔で会釈されると、どう反応したらいのか分からず、目をそらしてしまったりしたものだった。でも、今では、会釈をしてくれそうな人に出会うと、こちらからも「ハイ」と声をかけられるようになった。そしてこれは、けっこう素晴らしい習慣なのではないかと思うようになっている。ちょっと気持ちが沈んでいるときなど、こんな具合に「ハイ」と笑顔で声をかけられたりすると、単純な私は、なんだか元気が出てきたりするのだ。

それからもう一つがドアの開け閉め。こちらでは、建物や部屋などの出入りのためにドアを開けるとき、必ず後ろに続く人のためにドアを持って開けておくよね。それだけでなく、後から来た人を「どうぞ」先に通して自分があとから続くこともよくある。これもなかなか気持ちのいい習慣だと思う。気持ちがせかせかとしているときでも、こんなふうにすると、なんだか気持ちに余裕が出てきたりするから不思議だ。

私は基本的には「郷に入りては郷に従え」というタイプなので、アメリカでいいと思う習慣には従うようにしている。でも、一つだけうまくいかないものがある。「Bless you!」がそれだ。もちろん誰かが、くしゃみをすれば、私だって何の問題もなく「Bless you!」と言うことができる。それは相手が見知らぬ人でも同じことだ。誰か「ハクション!」→私「bless you!」→誰か「Thank you」。この流れのときはまず大丈夫なのだが、問題は、私がくしゃみをしたときなのだ。私がくしゃみをした場合には、どういうわけか、まず間違いなく「Bless you!」がかえってこないのである。私「ハクション!」→「し~ん」なのだ。空港のゲートなどで飛行機を待っているときなどでも、私のくしゃみに反応しなかった周りの人たちも、私のすぐ後にくしゃみをしたオヤジには「Bless you!」と声をかけるのだ。どうしてなのだ?なんで、私には何も言ってくれないのだろう。まあ、大したことではないのだが、ちょっと気になる。