Saturday, April 19, 2008

学生達を責めないで

もう何度か書いたように講師になる前は日本の会社のサラリーマンをしていた。勤めを辞めてからもう何年にもなるのだが、折に触れ、当時のことを思い出す。思い出すだけでなく、今の仕事に対する考え方のもとに、サラリーマン時代の経験があることに気づくことも多い。講師をしていく上で、私が特に肝に銘じていることの一つに、「学生の出来が悪いからといって、絶対に学生だけのせいにしない」というのがある。学生ができないのは講師である自分のせいなのだと戒めるようにしているのだ。中にはごく、ごく、まれにだが、大学時代の私のように全然勉強をしなくてできないという学生もいるのだが、もちろん、こんな学生は対象外だ。「こっちが一生懸命教えてやってるのに、全然できないな、お前ら」というのだけは絶対にいやだ。「カッコいいこと言っちゃって!」と思うかもしれないが、実はこんなことがあった。

私は、半導体製造装置の会社で営業の仕事をしていたのだが、月に一度重役を交えて行われる営業会議がとても苦痛だった。半導体製造装置というのはものすごく高価なもので、そうそう毎月決まったように商談がまとまるというものではない。加えて、私がサラリーマンとしてすごした時期のほとんどが、いわゆる平成不況の真っ只中だったので、毎月の営業会議では重役達からずいぶんネジを巻かれたものだった。どのように戦略を立てて機械を売っていくかということが議論の中心ではあったのだが、「何で売れないんだ?」とか「何やってんだ?」という話になってしまうこともずいぶんあった。だが、どうあがいても売れないものは売れないのだ。不景気で企業が設備投資を抑えているのだ。しかし、それを許していては会社は立ち行かない。重役連中からの遠慮のない突込みがはいる。会議で重役達からの攻撃の矢面に立たされるのは部長であった。細かい問題で我々が質問攻めにあい、うまくいっていないとみるや、部長に矛先が向くのだ。あるとき、重役連中の集中砲火を浴びて進退窮まった部長が、「若いやつら(私たちのこと)の動きが悪くてもうどうにもならんのです」と口にした。と、副社長が机をたたいて部長を怒鳴りあげた。「部下がきちんと動かんのは上司の責任や!部下を阿呆だと言うんは、自分を阿呆だと言うのといっしょや!」

日本語を教えている人の中でいい加減に仕事をしている人など一人もいないと思う。もちろん、私もそのつもりだ。でも、時としてこちらの思うようにコースが進まないことがある。一生懸命考えて準備したのに、学生がみんな疲れていてうまく授業が進められないときもある。前の週、あの手この手で教え込んだことが全然定着していなかったりすることもある。たいていはそんなことに構わずにやっていくのだが、こちらも疲れているときなどは「お前らなんでこうなんだ?!もうちょっと頑張れないのか?!」という気持ちになりそうなこともある。そんな時、あのときの副社長の言葉を思い出す。まあ、学生は講師の部下ではないけれど、理想的な上司が部下を上手に動かして仕事をさせるのと同様、学生が疲れているときは疲れているときなりに、定着の悪いときは悪いときなりにリードしてみせるというのが本当の講師というものだろう。

もう何年前のことかもはっきりしないのだが、あのときの副社長の怒鳴り声は、今も私の耳にある。