Sunday, December 2, 2007

グッバイ、サンタ


今日のエントリーは去年のブログに書いたものなのだが、ぜひみんなにも読んでもらいたいと思い、もう一度のせることにした。

みんな既に知っているように、我々日本人はキリスト教であるか否かにかかわらず、たいていみんなクリスマスを「楽しむ」。クリスマスツリーを飾り、クリスマスケーキを食べ、プレゼントを交換する。日本でもやっぱりクリスマスと言えばサンタクロースだ。もちろん我が家にも毎年サンタはやってきた。クリスマスイブの晩には、サンタがいつ来るのか確かめてやろうと頑張って起きているのだが、子供のこと、ついつい眠さに負けその思いを果たせたことはなかった。当時の我が家は煙突のない団地住まいだったので、いったいサンタがどこから入ってくるのかは全くの謎だったのだが、だれにも知られることなく、間違いなく毎年しっかり彼はやってきて、私と妹の頼んだおもちゃを律儀に枕元においていってくれたのだった。そう、あのクリスマスまでは…。

その年のクリスマスにサンタに頼んだものは「野球盤」だった。「野球盤」といってもみんなには何のことかは分からないと思うが、はやい話が野球のゲームだ。小さいスタジアムの中、ピッチャーが転がしたボールをバッターが打つという、今のコンピュータ・ゲームに比べるとなんとも原始的なゲームではあったのだが、当時はものすごく人気があり、ほとんどだれもが持っていたと思う。親友の中田君も角谷君ももちろん持っていた。家に野球盤を持たない私は、ジプシーのように友達の家々を渡り歩いては「野球盤」に興じ、それこそ「身も心も全て捧げます」というくらいのめりこんでいた。もちろん私は両親に何度も何度もこのゲームのすばらしさを説き、このゲームがあれば私だけでなく、家族全員がハッピーになれるのだと力説した。だが、簡単におもちゃを買ってくれる彼らではない。何度頼んでも、「だめだめ。そういうのはサンタさんにお願いしてみなさい」と言われるのがおちだった。私は焦った。クリスマスまで待てないのだ。級友たちは日に日に腕をあげているのだ。やつらは、私が帰った後も、夕食前まで、いや、夕食後も「野球盤」ができるのだ。自宅に「ホームグラウンド」を持たない私は満足のいく練習が出来ないではないか。でも、仕方がない。うちの親は一度「だめ」と言えば「だめ」なのだ。私はあきらめてサンタに全てを託すしかなかった。

毎年クリスマスは待ち遠しかったが、このときほど、待ち焦がれたことはなかったと思う。私にとっては生きるか死ぬかぐらいの問題だったのだから。ちょっと考えてみてほしい。みんな子供のころ、「任天堂」や「プレステ」で遊んだだろう?友達の中に、そんなゲームを持っていないやつが一人でもいただろうか?「野球盤」を持たないというのは、それくらいつらい身の上だったのだ。

かくして、問題のそのクリスマスはやってきた。いつも以上に興奮して起きていたはずだが、やはりその晩もサンタには会えなかった。朝、目を覚まし布団からはね起きて枕元を見るときちんと包みが置かれていた。でも、少しおかしい。野球盤は平たいはずなのだが、枕元の包みは丸いのである。「ははあ、サンタのやつ妹のものと間違えたな」と妹の枕元を見たが、妹の包みも野球盤にしては小さすぎる。私はとりあえず、自分の枕もとの包みをあけることにした。が、包みの中からぬっと姿をあらわしたものは…サッカーボールだった…。サンタは私のかくも真剣な、切ないまでの願いを聞き入れてはくれなかったのだ。

私は泣いた。声を限りに泣いた。簡単に2時間は泣き続けただろう。私の泣き声に起きてきた父が、「そんなことで泣くな」と怒ったが、そんなもの私の耳に入るはずもない。私は前にも増して激しく泣き続けるだけだった。両親ともはじめは泣き続ける私を「やかましい!」としかりつけていたのだが、私があまりにも泣き続けるので、「サンタさんは、きっと部屋の中でばかり遊ばずに、外で元気に遊んでもらいたかったんだよ」などとサンタのスポークスマンのようなことを言ってなだめようとした。その時だったと思う。私は、けっして言ってはいけない一言を言ってしまったのだ。
「おれは、もう、サンタなんか信じられねーよ!!!」

私が絶望の涙の中からしぼり出したその言葉は、サンタの耳にも届いたのだろう。その年を最後に、彼は私のもとには二度とやってこなかった。その日泣くだけ泣いた私は、だれもいない団地のグラウンドで一人、サンタのくれたサッカーボールを蹴ってみた。ボールはポーンと乾いた音をたて、冬の鈍い光の中をとんでいった。あれから何年目になるのだろうか。今年も、もうすぐクリスマスが巡ってくる。