Tuesday, February 12, 2008

幸せの意味

幸せの意味

私は、「この映画の意味を必ず考えさせてもらいたい」、有留先生の意地に攻められて(苛められて)、この意味をわざ~と探そうと工夫しています~^^;;;

アミさんが指摘したとおり、私もこの映画のポイントは、望月さんが彼女のビデオを見た後で、やっと自分の幸せの瞬間を選ぶことが出来たの所にあると思います。幸せは自分だけのものじゃないから、「責任」だと、考えることにも賛成です。

でも、私が選んだこの映画のテーマは、すごし違う見方で考えて見ました。 望月さんはようやく幸せの瞬間を選びました。しかし、確かにあの瞬間を、望月さんははっきり感じられなかったから、自ずから選ぶことが出来なかったのです。つまり、「本人には直接に感じられない幸せの瞬間」ということです。幸せの感じはそのようなものだと思います。私が感じことも幸せになるし、他の人に幸せをあげて、それを見るのも、幸せになるのです。不思議なものですね。私には残ったものが全然なくても、幸せを感じられるのは。。。

簡単な例をあげてみると、キプト、プレゼントがあります。好きな人からプレゼントを貰うのも「幸せ」で嬉しいですが、好きな人にプレゼントをあげて、あの人が嬉しがることを見るのは、もっとも嬉しくて「幸せな瞬間」じゃないですか?

自分の幸せを感じるため、自分の幸せを探すのも勿論、意味はあるのです。でも、自分の幸せを感じることが出来ない、どうしても自分の幸せは考えたくない、私のような人間は、他の人のために幸せをあげてこれを感じることの方がもっと嬉しくて、これが本物の「幸せの瞬間」になりました。

韓国で私の母は、一週間の1回、病気になってどうしても治る可能性がない人たちのため世話をしてあげています。私は、初めては母に「どうしてそんなに大変なことをしますか?その時間があれば運動してください!」と言いましたが、母は「あそこの患者さんたちが本当にありがたがるのを見ると私の方がむしろ心温かくなるし、手伝ってもらう感じがするから、私はあの人たちを手伝うために行くことではなく、私が手伝ってもらうために行くんです」と、答えました。 母の言葉通りなら、ボランティアの意味もそのような幸せを感じられるから続けられると思います。

つまり、私にとって、幸せのこの映画の意味は、「幸せは、私が作って感じることも出来るものが、それだけでなく、他の人にあげることもできるものだ」、「幸せな瞬間を持ってない人間もない。もし、本人は気付かないかも知れないけど、私のため誰かは幸せを感じているかも知れない。だから、意味がない人生はないものだ」ということです。