Thursday, February 14, 2008

ワン・イズ・ザ・ローンリエスト・ナンバー

今日は始めて小説じゃないエントリーを書くことになったから、皆さん、我慢してください。

「一つだけか。」誰が言ったか覚えていません。多分その選ばない伊勢谷君が言ったでしょう。私もこの場面になってしまえば必ずこの質問を聞くと思います。他の人が書いてくれたように責任や他人の幸せと自分の幸せの関係やベンチは全部大切なテーマだと思いますが、この映画に幸せだけではなく幸せの瞬間が大切なポイントです。こういうトピックが一番気になったからこの「一つだけ」ということを中心にして書きます。

誰でも死ぬ後で死後局に行って、人生の一つの思い出を選びます。そして不思議な別のところへ行ってしまって、永遠までその思い出しかありません。このことに基づいて、この映画では人生は一つの思い出、一つだけの瞬間に縮小できる物です。こういう簡略化は絶対間違いだと思います。人生はとんでもない複雑な物です。勿論、複雑な物なのに大体様々な瞬間に形作られます。と言っても、その全体は部分の和よりずっと大きい物です。一つの瞬間が大切な意味を持てるが、その瞬間は人生の他の部分と色々な繋がりがあるからこそ意味があると思います。だから一つの人生を一つだけの思い出にすることは酷くて無意味だと思います。私は伊勢谷君と違って責任を取るためではなくこの制度に抗議するために選びません。

この制度に反対する人もいるということが映画で認められています。結局選ばない人は天罰を受けずただその死後局の職員になります。最高な仕事とは言えないけど、地獄みたいな所でもないんです。私にとって、同じ思い出を何回も何回も何回も永遠まで再び体験する事より他の人の話を聞く事がずっとましです。しかし映画が思い出を選んで行ってしまうほうがいいと言っていると思います。特に望月さんの話によるといつまでも他の人の人生を聞いてただ不満足気を持つようになって、自分を満足させるために選ぶしかないという意味が含まれていたに違いありません。映画の最後のところに望月さんの話がフォーカスになったから映画のメッセージの大切なポイントだと思います。でも、そのときに、私はただ「どうして選んじまったか」と思って少しがっかりしました。

チュンさんが言ったとおり、意味のない人生はないものです。だからこそこういう風に無理矢理一つだけのほとんど無意味な寂しい思い出に縮小する事は酷いアイデアだと思います。

10 comments:

mizube said...

ノンフィクションでも面白いですよ。我慢する必要はないと思います。

全く賛成です。私も、一つだけ選べないし、一つだけ選びたくない。幸せな思い出でも、永遠に繰り返すのがまるで地獄だと思います。

Sohyun Chun said...

さすがに~トレバーさんですね~^^~ 
私も「一つだけ」の思い出を選んで、この考え方が愚かで無意味だと思います~!!!本当に大事な思い出なら、他人に話したくないし、心の中で自分の思い出でいつまで持って行きたいはずです。再現できるはずもないことを、話してしますと本当に「幸せな瞬間、思い出」が汚れてしまうことです。
トレバーさんの意見に大賛成です~!!!

Anonymous said...

私には永遠に繰り返されては嫌な思い出があれば、繰り返されても良い思い出もあります。例えば、プロポーズした日や、聖壇で手を握り合って絶えない愛を誓った結婚式の思い出など、大切な人とお互いの存在を感じている思い出なら、その中の一つであろうと永遠に繰り返されることは幸せなことです。

ちなみに、嫌な思い出が永遠に繰り返されると言えば、それっぽい話を描写した“Groundhog Day”と言う映画がありましたよね。

あみのっち said...

痛快な批判ですね。いっそ清清しいです。
いい思い出も悪い思い出も、全部自分自身の人生だもんね。ニックさんみたいにひとつだけ選べる人もいれば、どうしても選べない人もいるでしょうね。(私も選べない……選ばない派)

トレバーさんのエントリを読んでいるうちに、オプションで「一回だけ“あの場面”をやり直せる」っていうのがあればいいのになあと思ったりしました。渡せなかった手紙とか、言いたかった感謝の言葉とか、そういうのに決着をつけられたらいいなあ~。

Anonymous said...

あの古びて寂しそうな死後局にずっと残るよりかは、思い出をさっさと選んであちら側で暮らした方が私にとっては幸せなのかな・・・と思い書きました(「あちら側」が天国の様に幸せに過ごせるところなら)(^.^;)。死後局の中で小さな変化が起こったとしても、毎日同じ様な作業を繰り返しているだけなので、私はそこにいると精神的に病みそうな気がしたのです。

明君 said...

実は、私もそういう考え方がありますが、このことについて感想を書きたいんです。
もし私なら、選択する権利を捨ててほしいんです。

mizube said...

あの死後局は確かにぼろいけど...まだ読んでいない本を読めるし、お茶も飲めるし...そして色んな人にあって、人生の話を聞くことが出来る。私にとって、悪くなさそうです。

仏教はあまり詳しくないけど、死後局員の役は菩薩に例えてもいいですか。

Aridome said...

菩薩かあ。いや〜恥ずかしい話、全然考えもしなかったよ。あとで、カバロさんもコメントしてくれているけど、確かに、「局員」たちはそんな存在だとしてみることも出来るよね。

Aridome said...

なるほどね。あみのっちさんも言ってるように確かに痛快な批判ではあるね。トレバーさんらしいよね。

でも、この理不尽な「システム」に抗議するという意図で「死後局」に残ることにしたとしても、本当に永遠にあそこにい続けられるのかなと思った。1週間に一度、新しい人々がやってきてその人たちの話を聞き、「あちら側」へ行くのを助ける。まあ、退屈はしないだろうけど、本当にいつまでもいつまでも、永遠に続けられるのかな?それはそれで、いつかは苦しくなったりしないのかなあ。

Lawrence said...

大変遅くなって、申し訳ございません。

僕も、この世から分け離す事が出来るかどうかわかりませんね。確かに、この世が大好きだし、友人や家族も沢山いますし、そんな事の思い出を捨てて、目知らぬ天国に進むというのは難しいですね。難しいというより、怖いじゃないですか。