Sunday, February 24, 2008

もう一度『ワンダフルライフ』


先週のディスカッション、素晴らしかったなあ。1時間あれば、あんなに密度の高いディスカッションができるんだなあ。何度も言うけれど、みんな本当にすごいよ。今日は、みんなの話を聞きながらちょっと考えたことを書いてみる。私なりのこの映画の解釈みたいなものなんだけどね。

思い出を一つ選ぶということ。確かにこれはものすごく難しいことだと思う。私はビートルズの大ファンだが、ビートルズの中で一番好きな歌は何かと聞かれたら、「その質問には答えられないね」と答えることにしている。これまでの43年の人生の中から、思い出を一つだけ選べと言われるのは、恐らく、その1億倍は難しいことだと思う。思い出を一つだけ選ぶというのはそれぐらい難しいことだ。難しいと分かりきったことをわざわざ問いかけようとするこの映画に、ある種の「無邪気な無神経さ」のようなものを感じてチュンさんなどは怒ったのだろうし、トレバーさんは反抗の意味を込めて「思い出など選ばない」と決めたのだろう。「ビートルズで一番好きな曲は何?」としつこく聞かれれば、私も「お前などにそんな質問をする資格はない。なぜならお前はビートルズのことが何も分かっていないからだ」と腹立たしい気持ちになるだろう。だから、私にもみんなの気持ちはよく分かる。でも、この「一つだけ」ルールも悪いことばかりではないと思うのだ。それは、この「一つだけ」を求めて、死んだ後、もう一度自分の人生を振り返りそれと真剣に向かい合うことができるからだ。人はみんないずれ死ぬ。誰も死からは逃れられない。だけれど、どれだけの人が死ぬ前に自分の人生をきちんと振り返ることができるだろうか。病気と闘って死ぬ間際まで、もうただただ苦しまなければならなかった人。さっきまで元気そのものだったのに、突然事故に巻き込まれて命を落としてしまった人。まあちょっと極端に過ぎる例かもしれないけれど、僧侶のように精神的な修行を積んだ人でないかぎり、そんなに簡単に悟りを開いて自分の死を受け入れて、なおかつ自分の人生をきちんと振り返ることはできないだろう。何も言わず微笑んで相談員にどんぐり手渡した西村さんのような人は稀なのではないか。だから、たとえ1週間であっても、自分の人生を振り返る機会が持てるというのは悪くないのではないかと私などは思うのだ。

「一つの思いでは外の思い出とは切り離せない」「思い出こそが私が存在してきた証だ」「人間とは思いでそのものだ」という皆の意見に私も賛成する。吉本じゃないけれど、「幸福の瞬間」と言ってみたところで、その瞬間は外の瞬間にいろいろ複雑につながっていて密接不可分なものだ。だから、思い出を一つ選んだとしても、頭の中が空っぽになるわけではなく、それまでのことはちゃんと覚えていて、それまでの出来事の積み重ねの上で「ああ、幸せだなあ」と言える感じになっているのだと思う。あまり考えたくはないことだけれど、例えば、私が病気になってしまい、ベッドから二度と起き上がれなくなってそのまま死んでしまったとしよう。(例えばの話だぜ。トレバーさんじゃないけれど、「言霊」ってものはあると思うから、こんなこと書くのは嫌なんだけどね。)そうなったら、私はきっと、病を得る前の思い出を選ぶだろうと思うよ。元気でぴんぴんしてて、5年生のみんなといろいろ頑張ってる頃のことをね。そうだな、例えばこんな感じ。

一日の仕事を終えて家に帰って、家内とご飯を食べながら、今日の授業のことや家族のことを話してるんだよ。「いや~、やっぱ5年生はすごいよ。文句も多いけど、やることはやるしなあ。それから、あみのっちが結構いいコメントを寄せてくれてなあ」とか家内に話してるんだ。話しながらふと、サラリーマン時代を思い出して、講師になって本当によかったなあと思ったりしている。家内は家内で、日本へ彼女の家族を連れて行くことをあれこれ尋ねてて「お土産何にしましょうかねぇ」とか、「富士山の見える温泉、いいところ見つかった?」とか聞いてる。家族の顔や声が浮かび、ああ、もうじき会えるんだなあとか考えたりしてる。このシーンの前のことはちゃんと覚えているが、病気で身体が言うことを聞かなくなる前の思い出だから、病気にまつわる思い出は一切ない。元気なので飯もうまいし、会話も弾んでる。こんな思い出の中に私は生き続けるのだ。一つの思い出を映画やビデオのような感じで何度も何度も観続ける、または、見せられ続けるというのではなく、選んだ一つの思い出の中に「生き続ける」のだ。

8 comments:

Wordsman said...

私も一つだけの何でも決めることがとても難しいです。一番好きな食べ物とか、一番好きな映画とか。そういうような質問聞かれて何分たっても答えられません。そうですね。ビートルズの曲は同じもんですね。

Anonymous said...

確かに好きな分野の中から一つだけを選ぶことは難しいですね。トレバーさんが書いていた様に、私も一番好きな食べ物や趣味の分野について質問されても答えられません。

mizube said...

普通の時は私は決定的だと思うけど、選択と永遠に生き続けるならやっぱり迷います。

ところで、西村さんの可愛いパワーの前にお辞儀したいです。あの写真は何度も見ても見飽きないものです。

明君 said...

私はAmyさんの意見を大賛成。
何時も、選択することが嫌です。
時時後悔しています。

Sohyun Chun said...

有留先生は、今先生の仕事で小さいかも知れないけど、「幸せ」をどんどん感じられていらっしゃると思います。。。羨ましいです。私のように文句ばかりの学生がいないなら、会社員よりは、勿論、先生の仕事は甲斐があるでしょうね~~^^;;

Lawrence said...

やっと先生の感想を書いてくださって、ありがとうございます!それから、5年生達は先生にとってそんなに大事なものだって、嬉しいですね(ま、例えばの話だったけどね)。

ところで、やはり僕も皆さんと同じように何かの分野の中で一番好きな物を一つだけ選択するという事は全く出来ませんね。結構難しいですよね。

あみのっち said...

皆さんのディスカッション、聞いてみたかったなあ~。

aridome先生が、思い出をひとつだけ選ぶということを「無邪気な無神経さ」と表現していますが、これはうまい表現だと思います。
私にとって「無邪気な無神経さ=鈍感さ」で、かなり始末におえないものなんですよね。自分の人生を、どんな死にかたをしたにせよ、1個の思い出に集約させられるなんて、とてつもなく鈍感な発想だなあ、と思ったし、その選択にどんな意味があるのかよくわからなかったから、最初はなかなか映画に入り込めなかったんですよ。ま、ぶっちゃけ苦手なタイプの映画だったわけです。

でも、皆さんのブログを読むうちに、ちょっとずつ考えも変わってきました。
ひとつだけ選べないということは、自分の人生の中に愛しい出来事がいっぱいあったということだなあとか、いいことも悪いことも他人が運んできたっけなあ、とか。

さらに、そうしたたくさんの思い出を抱えて離したくないってことは、逆に言うと思い出に縛られているということでもあるわけで。あえてひとつを選ぶことで、本当に自由な気持ちになれるのかもしれない。「悟る」って、そういうことかもしれない……。

皆さんよりも長生きしている割に、あんまり何もわかってないのがバレてしまいましたね(笑)。何はともあれ、私にとってもいろいろな発見をもたらしてくれた「ワンダフルライフ」でした。皆さん、ありがとうございました。

Aridome said...

あみのっちさん、長いコメントありがとうございました。
いつもながらサポートありがとうございます。

皆の討論見せたかったですよ。しばし、自分が講師であることを忘れましたね。

「『悟る』って、そういうことかもしれないね」とありましたが、私も本当に同感です。一つを選びきるということは、それに縛られることではなくて、外から解き放たれることなんだろうなと私も感じました。そうして、ふっと自由になった状態こそが「悟った」状態なのだろうなと。