Friday, February 29, 2008

蛙は帰る




「蛙は帰る。」大学の時、ある授業で学んだ言葉ですが、面白いですから、今までよく覚えています。

いま、アメリカに滞在する蛙ー私はそろそろ帰ります。確かに、わずか一週間ぐらいですが、家に帰ってきたばかり、もうアメリカに戻らなければならません。しかし、またここに続けていると、家えらね旅に出るかもしれない。(笑い)
また、故郷に帰っても、今までの苦しい生活に二度と戻ることはないわけではありません。

まあ、いや。でも、高い交通費を考えると、心が痛い。

来週をわくわく待っています。興奮過ぎるので、文章が筋が立たないかなあ。

Thursday, February 28, 2008

解放

「お前に何が宿っているだろう。」

トレバーの頭の中でこの台詞が何日か回り続けていた。ワシントン大学に無事で帰ってきて以来それしかほとんど考えられなかった。ほかに考える対象になるために競争するアイデアはなかった。なぜかというと、トレバーがその何日か授業に行かなかった。

その土曜日の変なイベントの後でトレバーの生活に突然入ってきた不思議なことが尚更気になった。前はこれよりもっと気になるはずがないと思っていたのに。空白な月曜日。アレックサンドラ・メンデル。米国中西部中央言霊研究所。不思議な運転手。それを全部解決しなきゃ狂っちゃうと思うようになっていたが、時々もう狂っちゃったという気がした。

しかし解決する方法はないようだった。誰に聞いてもその月曜日に何の大切なこともなかったと答えられる。大切どころか誰もただ面白いことさえ思い出せなかった。そして唯一のアレックサンドラ・メンデルとの繋がりのアイザック・メンデルは結局何の役にも立たなかった。不思議な運転手は多分何か知っていただろうが、そいつに会う手段もなくて会いたくもなかった。

金曜日の午後、シェーファー君がトレバーがぼんやりしていた部屋に入った。「オッス」と言いよどんだ。

トレバーはシェーファー君とは話したくなかった。土曜日の探検を中途半端諦めたからトレバーが怒っていたわけじゃない。その時のトレバーは誰にも話したくなかった。でも頑固に傍で立っていたシェーファー君とは話さざるを得なかったようだった。「日本語の授業、どう。」

「まあまあだな。」

「先生に何を言ったか。」トレバーが今週授業に来ないから風邪とか流感とか何か先生に言い訳言ってくれと頼んだのだ。

「あ、アフリカ睡眠病と言った。」

トレバーがちょっとイライラした顔でシェーファー君を仰いだ。「お前、もっと信用できる病は考えられなかったのか。」

「いや、一番信用できないと思ったからそれを選んだ。だって、俺が毎日授業に行かなきゃいけないのにお前が平気で一週間サボれるなんてごめんなんだよ。」

「そうだろうな」とトレバーが全然興味ない声で言った。

シェーファー君はまた躊躇った。実は、慰めることはとても苦手だったのだ。ほかの状況であれば一瞬も考えないことだが、トレバーがそんなに異常な行動をしていたから何かを言うしかないと思っていた。「おい、トレバー君。本当に大丈夫なのか。」

シェーファー君からそういう言葉があまりにも以外で嘘を付けようとせずに答えてしまった。「僕を見て、大丈夫だと思うか」と皮肉っぽい声で言った。

「えっと。。。なんか。。。話したいことあるか。」

トレバーは話すことに価値があるだろうと分かったがそれでも話したくなかった。そしてシェーファー君を見て正真正銘彼もそういうことについて全然話したくないように見えた。ただし、シェーファー君までそれほど心配をかけていると分かって意気消沈することを止めると決めた。「いや、自分で立ち直ると思うよ。月曜日授業に行く。有留先生に打っ飛ばされるけどな。」

「絶対」とシェーファー君がニコニコして言った。「今夜、どこかで飲みに行かない。」

「今週の宿題全部終えなきゃ。」

「お前、いつもつまんないな」とシェーファー君が言って部屋から出た。

シェーファー君が行った後でトレバーが笑った。「馬鹿だな、僕」と口に出して言った。「その狂っている人の言葉を考えて一週間を無駄にするなんて。お前に何が宿っているだろうってただ大袈裟なナンセンスだ。言霊を信じる人の言葉を真剣に受け止めたとは恥ずかしいな。を言えば火がどこからともなく現れる。。。はず。。。がない。。。だろう。」

トレバーが言葉を切った理由は「火」を強調して言った瞬間に小さい蝋燭の火のようなものが手のひらで現れた。その手のひらを数秒黙って見た。何の跡も火傷もなかった。想像したかとトレバーが思った。やっぱり狂っちゃった。しかしもし万が一本当に火を創造したとしたら、もう一度実験した。ドキドキして「」と言った。手が電球のように何秒か白熱して元に戻った。

不思議な運転手、もっと尊敬するべきだったかなとトレバーは思った。そしていきなり突飛なアイデアが頭に思い浮かんだ。「お前には何が宿っているだろう。」その台詞を考え込んだ一週間の中に実は笑止千万な説明を考え出した。知らないはずのことを何となく知っていた理由はなくなった記憶の名残があったからじゃないとしたらどうだ。もしかしたら、思い出の名残ではなく。。。頭の中にほかの誰かの意識が宿っているとしたら。。。

ただの馬鹿げたアイデアだと自分を説得できないうちにやってみると決めた。椅子から立ってできるだけ真面目な声で「解放」と言った。

意識を取り戻してトレバーが苦しげに立った。やっぱり言霊の力をむやみに使っちゃう前に言霊研究所の人に話しておくほうがよかったかなと思った。疼いていた頭のために薬を取りに行こうとしたが、邪魔なものに衝突した。目を開いてよく周りを見たら、部屋にもう一人の人がいた。

勿論、シェーファー君じゃなかった。


続きを楽しみにしてください

Tuesday, February 26, 2008

(予告)『日本人のトトロへの愛情』

『マイケルさんは、時間があるときはある時なりに、ないときはないときなりにきちんとしたエントリーをあげてくるねぇ。今回は、きれいな写真やグーグルマップをセンスよく配置することで、ものすごい奥行きが出せるものなんだねぇ。マイケルさんには、ブログというものの使い方をいつも教わっている気がします』と、有留先生はいつも、アミさんを超ほめますので、私は嫉妬で仕方がなく、ブログを書きはじめました~**;;; 

私も、時間がなくても、あっても写真とかセンスよく、なんかしなきゃ~駄目~苦しい~と思ってストレスを受けましたが、
『でも、まあ~いいか~~明日アミさんを苛めることでストレスを発散しよう~!!!』

あ~もう一つ、今週のブログの繋がりも、先生の作戦ではないかな。。。
多分、先生はアミさんが真面目だから日曜日にもう、エントリを準備して置くことを、十分に予想していらっしゃったと思います~ので、アミさんは先に準備したエントリを載せる可能性が高い事ももうわかってたでしょう~~結論は、ということで先週も今週も、『本当に大変な時は、ブログは休まない~!!! いつも続けてる~~』 

先週から私は『トトロ』をテーマで、いろんな話を書きたがったんですが、あまりにも時間が足りなくて、今日は文句だけしてしまいました。すみません。来週は、アミさんのセンスあるエントリや、一番真面目なトレバーさんや、ニックさんの素晴らしくて忠実なエントリにも、応じるように頑張って~頑張ってエントリを書けるように努力します~!!!

皆さんの素晴らしいエントリを読んでると、適当にエントリ書くのが、有留先生よりは(^^;;;)、皆さんにすまない気持ちになります。あみのっちさんの優しいコメントも本当にありがたいので、『適当にブログを書こう』という『素晴らしい作戦』は、あまりにも実行することが出来なくなりました。

これを表現すると、『目には見えないプレシャー』とも言えるでしょう~~

次は、『トトロ』の力について話します~『トトロ』はただアニメの主人公ですが、『トトロ』が持ってる『力』超強いですので、これを紹介します~!!! もう一つのお願いがあります。私の言葉づかいには、あまり気にしないでください。私は好きな人にはもっとも激しい言葉ばかり使ってしまいますので。。。その意味でアミさん~明日は気をつけてください~~^^;;; 

Monday, February 25, 2008

オーレ




12月26日にストックホルムを出て、北へ向かいました。目的地はスウェーデンで一番有名なスキーリゾートのオーレです。オーレはノルウェーの国境まで数十キロしかありません。オーレの町は山とÅresjön湖の間にあります。下の写真は山からの風景です:

 スキーの一日目は6℃ほど温かかったです。雪はあったけど、あまり多くなかったです。二日目は寒かったせいで、雪は全部凍ってしまいました。スキーよりスケートの感じがしました。

オーレまでの道沿いに看板がなかったけど、スキー場のリフトに乗っている時、下でオーレ町の店の看板がいっぱい並んでいました。()

Sunday, February 24, 2008

もう一度『ワンダフルライフ』


先週のディスカッション、素晴らしかったなあ。1時間あれば、あんなに密度の高いディスカッションができるんだなあ。何度も言うけれど、みんな本当にすごいよ。今日は、みんなの話を聞きながらちょっと考えたことを書いてみる。私なりのこの映画の解釈みたいなものなんだけどね。

思い出を一つ選ぶということ。確かにこれはものすごく難しいことだと思う。私はビートルズの大ファンだが、ビートルズの中で一番好きな歌は何かと聞かれたら、「その質問には答えられないね」と答えることにしている。これまでの43年の人生の中から、思い出を一つだけ選べと言われるのは、恐らく、その1億倍は難しいことだと思う。思い出を一つだけ選ぶというのはそれぐらい難しいことだ。難しいと分かりきったことをわざわざ問いかけようとするこの映画に、ある種の「無邪気な無神経さ」のようなものを感じてチュンさんなどは怒ったのだろうし、トレバーさんは反抗の意味を込めて「思い出など選ばない」と決めたのだろう。「ビートルズで一番好きな曲は何?」としつこく聞かれれば、私も「お前などにそんな質問をする資格はない。なぜならお前はビートルズのことが何も分かっていないからだ」と腹立たしい気持ちになるだろう。だから、私にもみんなの気持ちはよく分かる。でも、この「一つだけ」ルールも悪いことばかりではないと思うのだ。それは、この「一つだけ」を求めて、死んだ後、もう一度自分の人生を振り返りそれと真剣に向かい合うことができるからだ。人はみんないずれ死ぬ。誰も死からは逃れられない。だけれど、どれだけの人が死ぬ前に自分の人生をきちんと振り返ることができるだろうか。病気と闘って死ぬ間際まで、もうただただ苦しまなければならなかった人。さっきまで元気そのものだったのに、突然事故に巻き込まれて命を落としてしまった人。まあちょっと極端に過ぎる例かもしれないけれど、僧侶のように精神的な修行を積んだ人でないかぎり、そんなに簡単に悟りを開いて自分の死を受け入れて、なおかつ自分の人生をきちんと振り返ることはできないだろう。何も言わず微笑んで相談員にどんぐり手渡した西村さんのような人は稀なのではないか。だから、たとえ1週間であっても、自分の人生を振り返る機会が持てるというのは悪くないのではないかと私などは思うのだ。

「一つの思いでは外の思い出とは切り離せない」「思い出こそが私が存在してきた証だ」「人間とは思いでそのものだ」という皆の意見に私も賛成する。吉本じゃないけれど、「幸福の瞬間」と言ってみたところで、その瞬間は外の瞬間にいろいろ複雑につながっていて密接不可分なものだ。だから、思い出を一つ選んだとしても、頭の中が空っぽになるわけではなく、それまでのことはちゃんと覚えていて、それまでの出来事の積み重ねの上で「ああ、幸せだなあ」と言える感じになっているのだと思う。あまり考えたくはないことだけれど、例えば、私が病気になってしまい、ベッドから二度と起き上がれなくなってそのまま死んでしまったとしよう。(例えばの話だぜ。トレバーさんじゃないけれど、「言霊」ってものはあると思うから、こんなこと書くのは嫌なんだけどね。)そうなったら、私はきっと、病を得る前の思い出を選ぶだろうと思うよ。元気でぴんぴんしてて、5年生のみんなといろいろ頑張ってる頃のことをね。そうだな、例えばこんな感じ。

一日の仕事を終えて家に帰って、家内とご飯を食べながら、今日の授業のことや家族のことを話してるんだよ。「いや~、やっぱ5年生はすごいよ。文句も多いけど、やることはやるしなあ。それから、あみのっちが結構いいコメントを寄せてくれてなあ」とか家内に話してるんだ。話しながらふと、サラリーマン時代を思い出して、講師になって本当によかったなあと思ったりしている。家内は家内で、日本へ彼女の家族を連れて行くことをあれこれ尋ねてて「お土産何にしましょうかねぇ」とか、「富士山の見える温泉、いいところ見つかった?」とか聞いてる。家族の顔や声が浮かび、ああ、もうじき会えるんだなあとか考えたりしてる。このシーンの前のことはちゃんと覚えているが、病気で身体が言うことを聞かなくなる前の思い出だから、病気にまつわる思い出は一切ない。元気なので飯もうまいし、会話も弾んでる。こんな思い出の中に私は生き続けるのだ。一つの思い出を映画やビデオのような感じで何度も何度も観続ける、または、見せられ続けるというのではなく、選んだ一つの思い出の中に「生き続ける」のだ。

MOS Burger について

うわー!遅くなっちゃって、すみません!忙しくて、昨日忘れてしまいました。申し訳ございません。_|ー|◦

さて、今週は作文3枚で忙しいので、今日のエントリーは留学した頃のMOS Burger(モスバーガー)について書いたファイナルプロジェクトを少し選んであげます。皆さん、モスバーガーご存知でしょう。自分の一番好きなハンバーガー店で、熱狂のファンです。。。


1970年代に桜田聡(さくらださとし)さんはロサンゼルスで働いていました。彼は、毎週近所のハンバーガー店に通っていたけど、そのアメリカの素晴らしい味を日本人にも教えたいと思いました。そのため、1972年に、モスバーガーを始めました。最初の店は、東京にありました。一年後、テリヤキバーガーを売り始めて、1979年までに店が百軒あるフランチャイズになりました。現在東京都内には、二百軒の店があって、日本中で千四百軒以上あります。それに、シンガフォールにもタイワンにも百軒以上あります。

モスバーガーという名前もとても面白いと思います。一度見れば変な名前だけど、実際に意味を持っています。「MOS」というのは「Mountain, Ocean, Sun」の頭文字です。そして、モスの企業目標によると「Mountain」とは「山のように気高く堂々と」、「Ocean」とは「海のように深く広い心で」、それから「Sun」とは「太陽のように燃え尽きることのない情熱をもって」といういみです。それに、モスバーガーの有名な緑色も意味を持っています。この緑色はモスバーガーが目指す「安心、安全、環境への思いやり」を象徴する色として使っているそうです。
美味しそうじゃん!

Friday, February 22, 2008

日本流行文化

近頃は、論文を書くために、色々な日本流行文化についての本を読みました。
この中で、二つの面白い現象を見つけました。一つは「美少女アニメおたく」。
日本の一部の若い男性の中には、アニメの中の女性ような完璧な結婚相手を求めて、現実の女性かちは魅力さを感じられなくなって、結婚をしたくない人々はいます。アニメの中の女性はあまりにも優しいし、美しいし、それに対して、現実で出会う女性があまり完璧ではないから、それは時には男性に失望を与えて、恋愛から逃げる場合もあります。そのようなアニメの女性に理想追求する男性を「美少女アニメおたく」と呼ばれる新単語も出てきます。
もう一つは「パラサイト」
結婚していないで、親と一緒に暮らす生活スタイルを選択します。給料があっても親から経済的援助をうけたり、食事や洗濯など親に身の回りの世話をしてもらっていたり、親から自立して生活を営む心配がまったくないです。日本では、そのような生活スタイルを持つ人々を「パラサイト」と呼ばれます。
もちろん、日本ではなく、中国ではそういう現象があります。

Thursday, February 21, 2008

話す相手

前は全く空だった駐車場には車が一台止まっていた。車の専門家はシェーファー君の方だったからトレバーにはどんな車だったか分からなかったが、多分高級車だと思った。その多分高級車だった車の隣に男が立っていた。トレバーと同じぐらい二十代に見えて、服は車と同じように高級だっただろう。周りの状態を計算しているような表情だった。顔に見覚えもなく、声に聞き覚えもなく、その変な米国中西部中央言霊研究所に来る理由も不明だった。

トレバーの頭の中に賛否両論があった。頭の半分ぐらいは突然現れた人の車に乗るのは大変危険で何のとんでもない馬鹿がそういうことするはずかと討論した。しかし、他の部分はどうしてその人が必ず悪いと思い込んでしまうか、多分手伝えたいだけだと反論を挙げた。トレバーの頭全体はその他に何の帰りようもないと分かったから、前者の半分の方に賛成したのに結局車に乗った。

ドアを閉めて緊張して「ありがとうございます」と言った。

エンジンをかけてその不思議な運転手は深い声で「自分のためにこれをしているから感謝する必要がない。しばらくお前に会いたくて、そして自己紹介するべきだと思っていた。」

やっぱり乗らない方がよかったとトレバーは直ぐに後悔した。勿論どこからともなく現れる良きサマリア人みたいな人は正気なはずがない。だんだん消えて行ったいた研究所の駐車場を見て「私はそんなに有名とは思いません。人違いではないでしょうか」とほとんど希望を持っていない声で言った。

「有名人でもないのに」と言い出したがいきなり車を止めてトレバーに振り返って顔をよく見た。計算する目にそんなにじっと見詰められているからトレバーには顕微鏡で観察される実験のような感じがした。大パニックになったが、その人の握力は余にも強くてドアを開けられるとしても逃げられなかった。相手が呟いていたが、トレバーには一言も分からなかった。

検査は数秒で終わったが、トレバーには数分や半時間ぐらいかかったと感じられた。終わった後で不思議な運転手がもう一度運転し始めた。「いや、すみませんでした」と親切に謝った。「本当に人違いだったでしょうね。でも間違いは私の方だったからお家まで連れてあげます。」

トレバーは少しだけ落ち着いた。ほんの少しだけ。今度はシェーファー君のこともっと聞くべきだなと思っていた。そうすればこういうことにならないはずだ。その変な人の探している人間でなくてよかったと思ったが一緒に車に乗ることは不愉快だった。ただなるべく早くうちに帰って車から逃げる事が欲しかった。

しかし不思議な運転手は会話したかった。「ちょっと聞きたいことがあるんですが、どうしてその建物に行ったでしょうか。言霊に興味を持っているでしょうか。」

「いいえ」とトレバーはしかたなく答えた。返事しないとその人はどうするか分からなかったから話すしかないと思って答えた。「実は今日までは聞いたことがありませんでした、その言葉は。」「と思う」とは言わなかった。そして話したくないのに「そちらは興味を持っていますか」と言ってしまった。

「そうですね。ちょっと趣味だと言えるでしょう。凄いとは思いませんか。言葉には力が宿っているとは。」

トレバーの頭の中にもう一度賛否両論が出てきた。ある声はこの人が悪い、逃げろ、絶対話すなと連発していた。ほかの声がこの人そんなに悪いはずがない、話すだけでどの危険があるか、面白くなるかもしれないと言っていた。この討論いい加減にしろと言いたかったが、この狂っている人に自分が狂っているようには見えて欲しくなかったからただ会話を続けた。「真実であれば面白いかもしれませんが、おとぎ話のことでしょうね。」

「それだけだと思いますか。私は我々の古代の祖先にもう少し信頼しますよ。その人の思っていたとおり、力がほとんどどこにも宿っていると思います。言葉にも数字のも音楽にも自然にも。勿論人間にも。現在の人間たちの役割は祖先より一歩進んでその力の使い方を発見する事だと思います。」

本当に変わり者だな、この人とトレバーは思った。現在誰が信じるか、そういうこと。「じゃ、この車にも不思議な力が宿っているでしょうか」と皮肉っぽい声で聞いた。

相手が笑った。「そうですね。ま、ワシントン大学まで行ける力があると思いますけど。」

会話が終わってもいいところが来てトレバーが少し安心して目を閉じた。しかし数秒後大事なことに気がついて突然あけた。周りを見てそこからうちに歩いて行けることを知って誰かに感謝した。ドアの錠をそっと空けた。そして次の信号で止まったとき小さい声で「まだ行き先言ってないけど」と言ってドアを開けて車から飛び出した。

不思議な運転手が車からゆっくり出た。トレバーを追おうともしなかった。ただその車から逃げていた姿を見て、「お前に何が宿っているだろう」と深い声で叫んだ。「記憶を取り戻してからまた話し合おう。」

ちょっと不気味な依頼だったがその人は本当にトレバーと話したかった。様々な理由があったが、その中の一つはフリードマン君がいなくなった以来話せる相手は見つけにくくなったからだった。


続きを楽しみにしてください

Tuesday, February 19, 2008

私にとって『トトロ』の意味


私は『トトロ』が大好きです。でも、どうしてこんなに好きなのか?あまり考えませんでしたが、先学期から妖怪の研究をしながら、この答えを探すことが出来ました。その理由は、

『トトロ』も『妖怪』だったのです。皆さんも、ご存知のように、先学期に私は妖怪が好きになりました。その理由は後で、どんどん話をします。もし、トトロが普通の生き物だったら、もし、論理的に説明出来るなら、いつでも合える物だったら、超能力を持っていなかったら、このように魅力を感じられるでしょうか? 多分、そうではない、と思います。絶対、好きになるはずがないと思います。

この視角から見ると、私は日本人の考え方も面白いです。そうすると、私が大好きな『隣のトトロ』より、『トトロ』を作り出す日本人の想像力にモット尊敬を表したいです。
メイの家族が初めて、引っ越していた、田舎の古い家に、怖い妖怪とか幽霊が住んでるような感じがしますが、ここでは、以外に、一緒に住みたい妖怪、大変困ってる時は助けてくれる、素敵な妖怪、『トトロ』が住んでいるんです。そんな妖怪なら、いつでも歓迎なのに、いったい、私の『トトロ』はどこにいるんでしょう~~ 
今日は疲れましたので、ちょっと私の説明が不足ですが、また、来週に~~^^*

Monday, February 18, 2008

ストックホルム市内

(さて話は変わりますが、スウェーデンの旅行ガイドの続きです...)

 
ストックホルムは14の島から構成されています。一つが中心にあるガムラ・スタンという17・18世紀の建物が残っている古い地区です。(ガムラは古い、スタンは街という意味です。)

王宮はガムラ・スタンの北のほうにあります。今王家は別の宮に住んでいますが、カール王は執務室として使っています。年末休館のせいで、王宮の中に入ることが出来ませんでした。

ストックホルムの最も狭い路地はガムラ・スタンにあるモーテン・トロッツィック通りです。一番狭い所の幅が90センチ。

別の島にスカンセンという屋外博物館があります。この広い博物館でスウェーデンの各地の古い民家や農家が移築されて、スウェーデンの動物を中心する動物園もあります。あまりにも広くて、一日で見尽くすことが無理です。

年中によく特別な行事が行われます。私たちが訪れた日に「火と氷」がテーマでした。


Sunday, February 17, 2008

『ワンダフルライフ』ウィーク

あみのっちさんが、昨日の日曜日無事、東京マラソン(10KM)を完走したそうです。さっき電話で話したんだけど、ものすごくよかったと言っていた。今回は私のエントリーにはコメントは要りませんので、あみのっちさんにメッセージをどうぞ。

さてさて、1週間みんなのエントリーとコメントを読ませてもらったわけだけど、私の予想をはるかに超えたレベルで、ディスカッションが続けられていたと思う。恥ずかしい話だが、正直、日本人の友人とでさえ、ここまで深い討論をしたことはあまりない。みんな本当にすごいよ。

明後日のディスカッションだが、次のような形で進めていきたいと思う。
1)各人のテーマに関し10分ずつの討論を行う。順番は、当日決めることにしよう。
2)自分の番が来たら、まず、感想のポイントを手短に説明する。この際なぜそれが自分にとって大切なポイントなのかについても触れること。これらは1分から1分半程度でまとめられるように準備しておくこと。
3)次に、自分が司会になり、外の人の意見を聞いてみる。この際、なるべく多くの人の意見が聞けるように工夫すること。発言の少ない人にも意見を求めるようにすること。
4)各自、クラスメートの感想に対し、きちんと自分の意見が言えるように準備しておくこと。下に、みんなのエントリーからポイントと思われるものを一つずつ抜き出してみた。火曜日の討論は、このポイントをもとに進めていきたい。複数のポイントをあげてくれた人もいたのだが、10分という時間の制約があるので、私の方で、ちょっと勝手に「一つだけ」選ばせてもらった。もちろん、外のポイントはおもしろくないとか、意味がないなどということでは、全然ない(念のため)。

マイケル
もう一つの重大なテーマは思い出の作成です。思い出す時、何処に意味をつけるか、何を忘れるかを監督のように決めますね。でも、あなたの思い出は総てあなたのモノですか。または、映画のように外の人と一緒に作る集合記憶ですか。

チュン
つまり、私にとって、幸せのこの映画の意味は、「幸せは、私が作って感じることも出来るものが、それだけでなく、他の人にあげることもできるものだ」、「幸せな瞬間を持ってない人間もない。もし、本人は気付かないかも知れないけど、私のため誰かは幸せを感じているかも知れない。だから、意味がない人生はないものだ」ということです。

カバロ
自分の人生を後悔するのではなく、「大切な思い出」を選ぶことで、この世での自分の存在と人生を自身で受け入れ、天国へ入る準備をする様な気がします。

トレバー
一つの瞬間が大切な意味を持てるが、その瞬間は人生の他の部分と色々な繋がりがあるからこそ意味があると思います。だから一つの人生を一つだけの思い出にすることは酷くて無意味だと思います。私は伊勢谷君と違って責任を取るためではなくこの制度に抗議するために選びません。

ワン
ただ一つの思い出を選ぶなら、不十分な人生になります。また、いろいろなことがあって、見たり聞いたり、いろんな人に出会って、今の私たちになったわけだから、今まで唯一つの思い出を留めて、他の思い出を捨てるなら、自分自身のことを捨てると言えると思っています。

デニス
何となく月のイメージを重視して、何かを象徴してるんじゃないでしょうか。
昔から、日本の和歌とかで月というのは恋人の顔を象徴するものです。「ワンダフルライフ」もその同じ象徴を利用してると思います。というと、「望月さん」は「月を望む」、つまりきょうこさんの全てを忘れたくない気を持っていましたね。

Saturday, February 16, 2008

皆さん今晩は。皆さんはもう今週いろいろ大切なテーマなどについて書いてくださいましたね。今日のエントリーで、別のポイントについて考えてみたいです。本当に大切なポイントかどうか分からないけど、「ワンダフルライフ」を見ると何度も気づいた物です。

それが、「月」の話であります。「ワンダフルライフ」の中で、月は何度か出てきましたね。死後局のある回廊で上に見れば、月が見えるという場所があって、望月さんはじろじろ見てたというシーンもありましたね。それに、当たり前だけど、望月という名前でも「月」の字が出ていますね。何となく月のイメージを重視して、何かを象徴してるんじゃないでしょうか。

それから、月の象徴という話の中心は中村さんが夜中にしおりさんの部屋に訪ねたシーンでした。中村さんは「あ、今夜は奇麗な月ですね。月って面白いですよね。本当の形はいつも同じなのに、光の当たる角度によって、その形はいろんな風にかって見える」と言いました。中村さんの伝えた事はちょっと曖昧なんだけど、考えると望月さんの複雑さを伝えようとしたと思います。

ところで、死後局員のしおりさんはどうして世界大百科辞典を読んでいたでしょうか。簡単に言えば、世界の全てを解るようになりたかったからですね。もっと深く考えたら、世界の事を忘れたくないからじゃないでしょうか。死後局員の皆は同じなんじゃないですか。皆は人生から一つの思い出を選ばなかったという理由でそこで働いているんじゃないですか。つまり、この世から分け離したくないでしょうね。

望月さんも、元の婚約者のきょうこさんの思い出から分け離せなかったですよね。昔から、日本の和歌とかで月というのは恋人の顔を象徴するものです。「ワンダフルライフ」もその同じ象徴を利用してると思います。というと、「望月さん」は「月を望む」、つまりきょうこさんの全てを忘れたくない気を持っていましたね。でもさ、やっときょうこさんは幸せで生きて進むことができたと望月さんは解ってから、一つの思い出を選べましたね。

最後に、その回廊から上に見えた月は本物の月ではなかったと解りますね。というと、この世の分け離せなかったものはイルージョンでしたね。

自分は亡くなってから、この世から分け離して、一つだけの思い出を選ぶ事が出来るでしょうか。。。

Friday, February 15, 2008

人生の存在する証

遅れてしまって、すみませんでした。
正直に言えば、初めはこの映画があまり好きではありません。よく考えれば、本当に深い意味を含まっています。
まず、人生が存在する証はどんなものですか?色々な人の選択した思い出から見れは、大体二つがあります、と言うと、好きになる事と好きになってくれることです。母のにおいとかまた恋人の間の思い出とか、これは好きになること。望月さんのように、自分のこともう他の人の一番幸せな思い出の一部分なるのはやっぱり人生が存在する証です。
だから、ただ一つの思い出を選ぶなら、不十分な人生になります。また、いろいろなことがあって、見たり聞いたり、いろんな人に出会って、今の私たちになったわけだから、今まで唯一つの思い出を留めて、他の思い出を捨てるなら、自分自身のことを捨てると言えると思っています。そのうえ、思い出の大切さは他の記憶と比較した後、感じられるものです。もし、ほかの記憶を全部消して、思い出の大切さもなくなってしまう。つまり、大切な思い出を珍重して大事にするために、ほかの「つまらない」思い出を捨てるわけには行かないと信じています。
大切な思い出を選択できるなら、人生の存在する証がある、これは表面だけで判断です。選択したくない人はかえって自分の人生の印を保つすることができるかも知らない。

Thursday, February 14, 2008

ワン・イズ・ザ・ローンリエスト・ナンバー

今日は始めて小説じゃないエントリーを書くことになったから、皆さん、我慢してください。

「一つだけか。」誰が言ったか覚えていません。多分その選ばない伊勢谷君が言ったでしょう。私もこの場面になってしまえば必ずこの質問を聞くと思います。他の人が書いてくれたように責任や他人の幸せと自分の幸せの関係やベンチは全部大切なテーマだと思いますが、この映画に幸せだけではなく幸せの瞬間が大切なポイントです。こういうトピックが一番気になったからこの「一つだけ」ということを中心にして書きます。

誰でも死ぬ後で死後局に行って、人生の一つの思い出を選びます。そして不思議な別のところへ行ってしまって、永遠までその思い出しかありません。このことに基づいて、この映画では人生は一つの思い出、一つだけの瞬間に縮小できる物です。こういう簡略化は絶対間違いだと思います。人生はとんでもない複雑な物です。勿論、複雑な物なのに大体様々な瞬間に形作られます。と言っても、その全体は部分の和よりずっと大きい物です。一つの瞬間が大切な意味を持てるが、その瞬間は人生の他の部分と色々な繋がりがあるからこそ意味があると思います。だから一つの人生を一つだけの思い出にすることは酷くて無意味だと思います。私は伊勢谷君と違って責任を取るためではなくこの制度に抗議するために選びません。

この制度に反対する人もいるということが映画で認められています。結局選ばない人は天罰を受けずただその死後局の職員になります。最高な仕事とは言えないけど、地獄みたいな所でもないんです。私にとって、同じ思い出を何回も何回も何回も永遠まで再び体験する事より他の人の話を聞く事がずっとましです。しかし映画が思い出を選んで行ってしまうほうがいいと言っていると思います。特に望月さんの話によるといつまでも他の人の人生を聞いてただ不満足気を持つようになって、自分を満足させるために選ぶしかないという意味が含まれていたに違いありません。映画の最後のところに望月さんの話がフォーカスになったから映画のメッセージの大切なポイントだと思います。でも、そのときに、私はただ「どうして選んじまったか」と思って少しがっかりしました。

チュンさんが言ったとおり、意味のない人生はないものです。だからこそこういう風に無理矢理一つだけのほとんど無意味な寂しい思い出に縮小する事は酷いアイデアだと思います。

Tuesday, February 12, 2008

幸せの意味

幸せの意味

私は、「この映画の意味を必ず考えさせてもらいたい」、有留先生の意地に攻められて(苛められて)、この意味をわざ~と探そうと工夫しています~^^;;;

アミさんが指摘したとおり、私もこの映画のポイントは、望月さんが彼女のビデオを見た後で、やっと自分の幸せの瞬間を選ぶことが出来たの所にあると思います。幸せは自分だけのものじゃないから、「責任」だと、考えることにも賛成です。

でも、私が選んだこの映画のテーマは、すごし違う見方で考えて見ました。 望月さんはようやく幸せの瞬間を選びました。しかし、確かにあの瞬間を、望月さんははっきり感じられなかったから、自ずから選ぶことが出来なかったのです。つまり、「本人には直接に感じられない幸せの瞬間」ということです。幸せの感じはそのようなものだと思います。私が感じことも幸せになるし、他の人に幸せをあげて、それを見るのも、幸せになるのです。不思議なものですね。私には残ったものが全然なくても、幸せを感じられるのは。。。

簡単な例をあげてみると、キプト、プレゼントがあります。好きな人からプレゼントを貰うのも「幸せ」で嬉しいですが、好きな人にプレゼントをあげて、あの人が嬉しがることを見るのは、もっとも嬉しくて「幸せな瞬間」じゃないですか?

自分の幸せを感じるため、自分の幸せを探すのも勿論、意味はあるのです。でも、自分の幸せを感じることが出来ない、どうしても自分の幸せは考えたくない、私のような人間は、他の人のために幸せをあげてこれを感じることの方がもっと嬉しくて、これが本物の「幸せの瞬間」になりました。

韓国で私の母は、一週間の1回、病気になってどうしても治る可能性がない人たちのため世話をしてあげています。私は、初めては母に「どうしてそんなに大変なことをしますか?その時間があれば運動してください!」と言いましたが、母は「あそこの患者さんたちが本当にありがたがるのを見ると私の方がむしろ心温かくなるし、手伝ってもらう感じがするから、私はあの人たちを手伝うために行くことではなく、私が手伝ってもらうために行くんです」と、答えました。 母の言葉通りなら、ボランティアの意味もそのような幸せを感じられるから続けられると思います。

つまり、私にとって、幸せのこの映画の意味は、「幸せは、私が作って感じることも出来るものが、それだけでなく、他の人にあげることもできるものだ」、「幸せな瞬間を持ってない人間もない。もし、本人は気付かないかも知れないけど、私のため誰かは幸せを感じているかも知れない。だから、意味がない人生はないものだ」ということです。

Monday, February 11, 2008

アフター・ワンダフル・ライフ ・ その弐

この映画のテーマは、もちろん、幸せです。幸せと...なんでしょうか。

何回か大事なシーンは公園のベンチで行われます。例えば、「そこそこ」の人生をした渡辺さんと「まったく選ぶ意志がない」と言った伊勢谷くんは死後局の外にあるベンチで会った時。ベンチの回りを歩く伊勢谷くんは思い出を選ばないことが自分の人生の責任の取り方と言います。それを聞いて、渡辺さんは幸せと責任の関係を考えて、思い出を選べるようになります。彼が選ぶ思い出は中央公園のベンチで奥さんと一緒に座った時です。


(万が一、この映画を見たことない人がこのエントリーを読んだら...)

**ネタバレ注意**


奥さんも中央公園のベンチに座っている思い出にしたけど、相手が望月さんでした。望月さんが彼女のビデオを見たおかげで、彼女の幸せの瞬間に重要な役割となったことをやっと気付きます。人の幸せに参加することも幸せだということを悟ります。

それで、そのベンチの意味とこの映画の主なテーマは責任ではないでしょうか。自分の幸せを認める責任と外の人の幸せに深く関わる責任です。

もう一つの重大なテーマは思い出の作成です。思い出す時、何処に意味をつけるか、何を忘れるかを監督のように決めますね。でも、あなたの思い出は総てあなたのモノですか。または、映画のように外の人と一緒に作る集合記憶ですか。 

Sunday, February 10, 2008

『ワンダフルライフ』ウィーク



かねてから予告しておいたように今週は『ワンダフルライフ』ウィークです。この映画について存分に語り合ってください。先週のマイケルさんのエントリーでは、いくつものおもしろいポイントが指摘されていて、本当に『ワンダフルライフ』ウィークの前夜祭という感じでしたね。とてもいい映画評論になっていたので、ほかのみんなもこの映画を考える上でいいヒントをたくさんもらったのではないでしょうか。

さて『ワンダフルライフ』ウィークを始めるにあたって、一つだけ皆さんに注文をつけたいと思います。エントリーは、ポイントを一つにしぼったものにしてもらいたいのです。映画の中で気になったことなどを思いつくままにいろいろ指摘するのではなく、この映画のテーマについて自分はどう思うのかというポイントから書いてもらいたいのです。この映画のテーマは何なのか、是枝がこの映画を通じて問いたかったのはどんなことなのかという点に関してあなたが考えたことをクラスメートにぶつけてみてほしいのです。教材に選んだぐらいですから、私はこの映画についてはいろいろ思い入れはありますし、みんなに聞いてみたいこと、みんなと話し合ってみたいことは山ほどあります。でも、主役はみなさんです。私は、みんなのエントリーやコメントを「ふ~ん。そうかあ。」とか「なるほどなあ」とか「ふむふむ」とか「へ~」などと読ませてもらうことにします。

みんなのことだから、この1週間はものすごく質の高い討論が繰り広げられるものと思うけれど、来週の火曜日にもう一度授業で討論してみましょう。先週の『見知らぬあなた』の討論はよかった。「結末はいったいどうなるのか」ということだけで、あそこまで議論できる皆さんですから、この映画の討論はすごいことになるだろうなとわくわくしています。一つのテーマについていろいろ考え、クラスメートからのフィードバックを受け、また考え、さらにもう一度授業での討論を経て考えを深め感想文を書く。これが今回の中間プロジェクトです。

Saturday, February 9, 2008

皆さん、今晩は。「見知らぬあなた」の結末読みましたか?やはり、二重人格でしたね。そう考えたものはすごいですね。授業で言われた前にそういう事があり得ると全然思わなかったから。冷蔵庫の野菜室の中に主人公の前の夫の頭が入れてあるでしょ。うわ〜。確かに、先学期の百物語の話より怖いですね。それから、関係ないっすけど、「見知らぬあなた」の作家を調べてみました。今邑彩という日本の小説家であります。皆さんは推理小説が好きなら、今邑彩の外の書いた小説を調べてみてください。
先生にお聞きしたいんですが:どうしてこの小説を選んだでしょうか?または、どうして気に入りましたか?

先日は日本で、去年の夏休みに会った友達の川奈由紀さんのソロデビューCDが発売されました。由紀さんは自分の彼女のバンドでキーボードを弾きますが、ソロならギター弾語りで演奏などします。脱線だけど、由紀さんはまるで仲人として、ローレンスと彼女を紹介しました。全部は由紀のおかげです。

ところで、由紀のCDの発売、私たちは本当に嬉しいです。それで、最初のPVを皆さんにお送りします。「A Black Swallowtail」という曲です。どうぞ見てみてください。



最後に、由紀と文子(彼女)と自分の写真もお送りします。

Friday, February 8, 2008

学校苛め


昨日、日本語の授業で学校苛めについて色々を話しましたが、すごく面白かったです。
少し皆様の話を整理して、苛める目標によって分類をしたいんです。
⒈まず、好きな女
これはよく小学校の時、起こることだと思います。その時、好きな女子学生があっても、恥ずかしくて、直接に告白はおろか、平気で挨拶さえできない人が多いと思っています。
この場合、一番相手を引きつける方法はやはり苛めです。この「天才」の考え方のおかけで、様々な苛める方法を想像しました。例えば、こっそりと虫を相手のかばんの中に入ること。つまり、最高な愛を伝える方法は女子学生を泣かすことです。もちろん、いじめの成果はあまり好ましくないですが、恋に落ちる女子が少ないです。
2成績がいい学生
一般的言えば、先生は何時も成績がいい学生を庇う傾向があります。もちろん、いたずら子を気に入る先生もいます。だから、嫉妬心が強い人は気になりを手を出します。この場合、手段が様々ですが、よくまとめらないです。
3お金持ち
お袋が寒い人にとって、お袋が暖かい人をねらって苛めます。よく苛める時、「お前、お金を持ってこい」とか、「お金を頂戴」とかはよく使う台詞です。お金にはこだわらない、弁当などもを奪いしまうことが珍しくないです。

これだけを覚えだせますが、皆様はまたどんな苛め形式を知っていますが?^-^
(この内容が可笑しくて、すみませんでした。)

Thursday, February 7, 2008

発見と見失い

春でよかったなとトレバーは思った。まだ冬であればその長い距離歩けないはずだからだった。その三番目のアイザック・メンデルの住所に行くのに数時間がかかった。でも、それはトレバーに考える暇を与えた。というより、残念ながら、それはトレバーに考える暇を与えた。そしてその考えの結果は「何やってるんだ、僕」だった。頭の中で言ったか声をかけて叫んだか少し曖昧だ。確かなのはトレバーがこの変わった探検のために数十マイルを歩くことは普通はするはずがないことだと気がついた。

しかし、もっと考えたら、ただ狂っているわけでもないということにも気がついた。アレックサンドラ・メンデルの大切さを違算したとは思わなかった。知るはずがないこと、その謎の女の毛色などが勝手に頭の中に浮かんでいた。時々本当はその人のことは知るけど記憶ははっきり見えないという気持ちがした。僕は洗脳されたかと思った。実は、探していた人はほかのまだ調べていないところよりアイザック・メンデルのところにいる証拠は全然なかったが、そこにいる気分があった。でも、時間が経って、考えすぎだろうと思ってしまって、ただその脳に残った住所まで歩いていった。

覚えていたとおりそのところは住宅であるまいとも言えるところだった。まだこれは本当にいいのかと思って、ビルの名前を呼んだ。

米国中西部中央言霊研究所。。。っか。冗談だろうな。」

自信なさそうなトレバーがドアまで行ってノックした。呼び鈴はなかったからだ。一分ぐらい経って、ドアが開いた。開けたのは背が低い少し年寄りの男だった。トレバーは本当にいるかどうか分からないような顔で外をゆっくり見ていた。少なくても僕はこんなに狂っていないと自分を慰めながら、トレバーは話しかけた。「すみません。アイザック・メンデルでいらっしゃいましょうか。」

「はい。メンデル所長です。何でしょうか。」

自然的に速く答えたことにトレバーはちょっと吃驚した。なぜかというと、この人はよく客さんを迎えに行くようには全然見えなかったからだ。そのビルも、本当に研究所だと信じることまだ決めていなかったけど、客さんが来るようなビルじゃなかった。でもその人は信じられないほど分かりやすかった。トレバーには変な気持ちがした。「あの~、失礼しますが、アレックサンドラ・メンデルという方ご存知でしょうか。」

その年寄りはトレバーをじっと見詰めた。表情には見覚えの気配があったといえるだろう。「娘のことか。中入っていいよ」と言って、ビルの中に消えた。

トレバーは安心した。ついに見つけたと思った。しかし、嬉しくはなかった。毛色以外にまだアレックサンドラ・メンデルとはどういう人か全然分からなかったから喜ぶべきかどうか分からなかった。ただドキドキしてアイザック・メンデルの後を追った。

ビルの中はちょっと汚くて変な臭いがした。廊下にメンデル所長が立ち止っていた。客がいるとは忘れたように見えたから、トレバーが躊躇ってもう一度話しかけた。「あの~。すみませんが、お娘さん今いらっしゃいますか。」

「あ、あいつはね、行方不明だ。」

トレバーの期待感が腹を立てて頭の中で強い文句を言い始めた。「そうなんですか」とトレバーが自分を抑制しようとしながら答えた。多分、行方不明ということはこの人の所為じゃないとは分かった。でも、数十マイル歩いたのに。

「うん。数週間前からね。」

随分平気な答え方じゃないかとトレバーは思った。僕は、ただ知らない人、いや、多分知らない人はこんなに怒って、父であるこの人は全然気にしていない。どんな親子関係あるかな、この家族。しかし、メンデル所長の冷静さによってか、トレバーは落ち着いて出来るだけアレックサンドラ・メンデルの情報を聞こうと決めた。「あの~、お娘さんはどの仕事をなさっているでしょうか。」

「勿論、私と同じ。副所長だ。」

この人問いただしにくいねとトレバーは思った。その上返事に吃驚した。こんな小さい研究所に所長も副所長も要るか。メンデル所長以外に誰もいる気配はなかった。土曜日だからかと思った。「えっと、すみませんが、それは何の仕事でしょうか。」

「読めないか。外で書いてあるのに。言霊を研究する。」

言霊。聞いたことあるけど意味はっきり覚えていないという気がした。多分日本語の授業の読み物に出ただろう。魔法の言葉に関係があったか。どうしてそういうことは現在アメリカで研究するか。それをもっと詳しく聞きたかったが、気になっていたこともあった。なぜ気になっていたか分からなかったが、くだらないことなのに迷惑になって大変だったから、聞くしかなかった。「所長のいい事は分かります。どうして分かりますか。分からないはず。。。じゃないですか。」言っている間にもとんでもない馬鹿みたいなことだった。

「あ、文語のことか。それは止めた。馬鹿だったから。だって何の力があるか、こんな台詞に」と聞いて、トレバーの顔の前に紙一枚を押し付けた。随分乱れた走り書きだった。トレバーはなんとなく読んだ。

「かささぎの渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける。」

「へ~。読めるな。」

「ええ」とトレバーは答えた。読めるはずないのにとは言わなかった。「あの、本当にお娘さんの居場所ご存知じゃないでしょうか。」

「よくこういうのするよ。いつか帰ってくる。」

じゃ、もうここにいる価値はないなと思って、「そろそろ行こうと思っております。お邪魔してすみません」と言った。

答え待たずに気持ち悪いビルから逃げた。メンデル所長は長い間の知り合いのように話していたから変な気がした。一度も会っていないとトレバーは自信なく思った。何が起こっているか分かんないと叫びたかった。

突然気がついた。「あ、何でここからうちに帰るか。馬鹿だな、僕。」

自己憐憫に浸るところのトレバーに深い声が聞こえた。「乗せてあげようか。」


続きを楽しみにしてください。残念ながら、来週はワンダフル・ウィークだから、二週間待つしかないですね。

Tuesday, February 5, 2008

「とくぽくき」食べて見ましたか?

「トクポクキ」私の高校で有名な食べ物。すごく辛くて、感動的に美味しいものです~^^*食べたいな~!!!

毎週、日本語の授業には、ぎりぎりに合わせて行きますが、最近はアミさんの真面目な姿勢を習い、今日は朝8時50分に到着しました。これもアミさんと会う約束があるから、まあ~やっと出来ましたが、朝早く起きるのは本当に苦手です~ウワ~~。

高校生の時が思い出しました。普通、韓国の高校は朝7時までなので、6時に起きないと時刻になりやすいです。私は一年生の時、いつも母に叱られながらぎりぎりだったり、遅くなってお父さんが学校まで車で送ってくれたりしました。でも、2年生から卒業まではいつも、すごく早い時間、5時に目覚め、学校に6時に到着することが出来ました。素晴らしい~^^*

それは、格好よくて優しい国語科目の男の先生が新しく着たからです。その先生は初めに先生になり、毎朝、登校指導のため早く学校にきて、早く登校する学生には、時々話をかけてくれました。

毎朝わくわくして、「今日は先生が何んの話をかけてくれるかな」何を答えたらいいのかな~~工夫しながら誰よりも学校に早めて行きました。ここ、アメリカに留学する前、先生に会ってあの時の話をしましたが、先生は「それだったのか~ 全然知らなかったな~、ただチュンさんは真面目過ぎて早く来るかなと思ったな~悪いね~寝る時間を奪って~」と笑いながら、美味しい「トクポクキ」を買ってくれました。

苦しいはずなのに、あの時は、朝早く起きるのが、かえって胸がわくわくすることでした。

Monday, February 4, 2008

アフター・ワンダフル・ライフ

今まで見た是枝監督の映画は「誰も知らない」と此の「ワンダフル・ライフ」です。なんとなく小津監督の映画を思い出させる。傑作映画では、小津監督は慈悲深い神のように登場人物を善人と悪人を分けずに、一般人の望み・失望・弱点・小さな幸せを優しく見せてくれます。涙もろく感情的なことも簡単なシニシズムも避けながら、感情を上手くかき立てることが巧妙で偉い。

「ワンダフル・ライフ」の目的も制作は普通の映画より興味を起こさせるから、小津のような監督に比べて、普段より厳しい目で見たかもしれません。前提だけがあまりにも面白くて、深く掘り下げられるテーマです。ドキュメンタリー風が正常性を強調して、超自然的な内容を自然に受け入れる。目立たない語り方で、ゆっくりとキャラクターを観察することが出来ます。

 死者のインタビューを聞くのと委員同士の関係を見るだけで十分面白かったです。でも、終わりの方には、監督はそのスタイルに自信がなくなって、無理に主役を決めないと駄目のような気になったみたい。私にとって、心をわざとらしく温まらせようとしている気がしました。死んだ後の人はどうなるかはもう十分感情的なテーマですから、感傷をさらにふける必要はないと思います。料理に例えると、折角煮込んだソースに最後に砂糖を少し入れ過ぎるようです。

是枝監督は小津監督と同じようなヒューマニズム感があるから、いずれ自分なりの人間主義名作が作れると思います。これからの映画を楽しみに待っています。

関連質問:

*幸せな瞬間ってどれぐらい長いですか。瞬間を永遠に追体験することってどういう意味ですか。

*なんで夢・作り話は駄目ですか。面接官はどうやって判りますか。

*死者の人生は判断されないが、皆はやっぱりほのぼのとした思い出を選んでくれました。その死後局は嫌な幸せの瞬間でも再現しますか。

*人生の思い出は頭の中にあるし、ビデオにも載っているみたいから、なんでまた映像上で再現する必要ありますか。フィルムが発明{はつめい}される以前の死者{いぜん}はどうしましたか。

*私だって、大切な思い出を安っぽいセットで知らない人と演出すると、永久に落ち込んじゃうと思います。皆さん、自分の思い出を再現することについてどう思いますか。

Sunday, February 3, 2008

天使の物思い



今学期も私は5年生のほかに2年生を受け持っている。ワシントン大学の2年生というと、きちんとした敬語が使えるのはもちろん、自動詞他動詞、「やりもらい」の表現もきちんとできるレベル。ずいぶんまとまったことが話せてきている。わが学生ながら、よく勉強してくるので、講師としてもやりがいがある。授業が楽しい。優秀な学生の常で、時々気のきいたジョークを返してくれる。先週の木曜、「目」という漢字を導入した。まあ、以前、「見」という漢字のところで「目」の話はしてあるので、「早目」とか「目上・目下」の語彙を確認した。自分の目線の上におくべき人か下におくべき人かということから目上と目下を説明し、「じゃあ、みんなは私の?」と確認すると、もちろん「目下です」とかえってくる。よしよし、と思って、「じゃあ、私はみんなの?」と聞くと、半分ほどの学生が見事に声をそろえて「お年寄り」と言うではないか。大笑いになってしばし授業は中断したのだが、その後きちんと「お年寄り」の漢字も確認できた。悪くない悪くない。

その後「頭」という漢字を導入した。新しい漢字を導入するとき、私はたいてい、もう勉強済みの部首を見つけさせる。この場合は「頁」だった。学生は直ちに「願」と「頼」を例に挙げてくれた。よしよし。後はこの「豆」の部分を覚えればいいのだと説明しかけると、一人の学生が手を上げて言った。「先生、これですね。」彼は左右の頬に手を当て机の上に両肘をついて見せてくれたのだ。つまり、両手で頬づえをついている感じ。物思いふけっているときのポーズだ。彼は、「豆」の部分を身体で表現してくれたのだ。そう、「豆」の「口」が顔、「ソ」の部分がひじから手までの部分、そしてその下の「一」が机というわけだ。「すごい!」私はうなった。私自身がこの漢字を勉強したのは確か小学校2年だったと思う。恥ずかしいほどできの悪い生徒だったので、漢字など全然覚えられなかった。見かねた母がこの漢字は、「一、口、ソ、一、一、ノ、目、ハ」と覚えればいいと教えてくれたことを思い出す。確かに母の言う「一、口、ソ、一、一、ノ、目、ハ」を念仏のように唱えて覚えこめば、「頭」という漢字は書けるはずだった。だが、覚えられなかったのだ、この念仏が私には。ものすごい馬鹿だったからな。でも、今振り返ってみるに、私の頭の悪さもさることながら、この母の念仏も問題がないわけではないと思う。一番の問題点は、この念仏は「頭」というものの持つ概念やイメージにはなんら関係がない点だ。「一、口、ソ、一、一、ノ、目、ハ」を唱えても心に「頭」の「ア」の字も浮かばないではないか。一つの漢字を覚えるために、とんでもなく長く(まあ、個人差はあるだろうが、私には長かった)無意味な念仏を覚えなければならないのか、と思ってしまったのを今も思い出す。これは、あまりにも不合理な記憶法ではないだろうか。それを証拠に、一度だけ、この母の念仏を授業で使ったことがあったが、全然だめだった。学生のあのときのぽか~んとした顔が今も忘れられない。

それに比べ、わが2年生の覚え方はどうだ。ストレートにそして鮮やかに「頭」というものに結びついているではないか。これはすごい。私も、学生に漢字を楽しく学んでもらおうとあの手この手でやってきた自信はあるが、こんな素晴らしいものは私のストックにはない。私は彼を褒めちぎり、今後「頭」という漢字を教えるかぎりこのイメージを使わせてくれと懇願した。と、外の学生が手を上げ「でも、先生、『口』の上の一は何ですか?」と尋ねた。私はすかさず「この『一』は勉強机の電気スタンドでしょう」と返し、ほとんどの学生がなるほどと頷いた。するとまた別の学生が、「いいえ、先生、エンジェルですよ!エンジェルのhaloです!」とまぜっかえし、大笑いになった。なるほど、そうくるか。私は学生と一緒に笑いながら、もう彼らはこの漢字を完全にマスターしたなと確信した。

Saturday, February 2, 2008

雪だるま

皆さんの週末はどう過ごしてるんでしょうか?ローレンスは今日、マーディグラのためにダウンタウンへ行ってきました。マーディグラって、一般に言うとお酒を沢山飲む祭日ですよね。実は、火曜日はマーディグラの日なんだけど、社会人なら火曜日に沢山飲んじゃダメだから、その前の週末でいっぱい飲んだりする事が因習になりました。

こういうものがいっぱいありますね。
さすがに友達のアダムさんが物凄く大きいビールを飲んでいます。

それから、沢山飲んでから、このようの面白い写真もいっぱい撮っていましたね。。



この奴のように、コスチュームを着てる人もいましたね。面白かったです。


それから、皆さんに聞きたい事があります。一昨日に雪がひどく降っていましたね。雪の日に、アメリカで雪だるまを作るという習慣がありますね。実は、僕は幼い時から今までも雪だるまを作った事は全然ありません。可笑しいじゃないですか。皆さんは作ったことがあるでしょうか?韓国でも中国でも雪だるまを作る習慣はありますか?それから、同じよう、当たり前の習慣などをなぜかしていない事はあるんでしょうか?

Friday, February 1, 2008

年金制度


昨日の授業で日本の年金改革について色々討論しました。確かに、年金制度が複雑な問題ですが、日本の政府では、年金制度を改革するのは「手を焼く仕事」と言われます。高齢化の深刻化だけではなく、少子化の進行によって、年金問題はもっと深刻になると思います。現在の日本の社会システムは、特に自分の給料から天引きされた厚生年金は、将来自分の手に入らないで、現在の受料者から配分されています。しかし、今の日本は子供の数が減る一方ですが、年金制度を支えている人の数も減少して、社会保障費用の負担が増加しているばかりです。そうしたら、いまの社会年金制度が崩れるかもしれない。言うまではなく、もし、日本現在年金制度について、抜本的な改革をしないで、社会福祉が悪化し、不安定な社会になる可能性があります。更に恐ろしい事は社会が子供を出産したくなくさせると言う悪循環に陥る可能性があります。
中国は今、「一人っ子政策」を遂行していますが、またいくつかの都市には同様に高齢化現象も見られます。これから、年をとる人をどういうふうに扶養しますか、やっぱり難題だと思います。