Sunday, September 30, 2007

ところ変われば


授業の初日にも少し話したと思うのだが、私は大学の日本語講師になる前は、日本の企業(半導体製造装置のメーカー)でサラリーマンをしていた。そのサラリーマン生活の最後の2年をアメリカのコネチカット州を基点に過ごした。当時会社が使っていた代理店に席をもらい、彼らのセールス活動のサポートをしていた。その間、アメリカ国内だけでなく、中南米のコスタリカへも出張する機会に恵まれた。コスタリカへは計5ヶ月ほど滞在することになったのだが、今回と次回はそのときの話を少し。

日本のサラリーマンはとても律義である。初めて挨拶させてもらうような場合、それがお世話になるお客さんである場合は必ずお土産を持参する。今後の取引の拡大を目論んでいる相手ならなおさらだ。私は、あれこれ考えたあげく、コスタリカへ和菓子を持っていくことにした。甘いお菓子だし、見た目もきれいだから間違いはなかろうと思ったのだ。部長級の人々には一つずつ、エンジニアや秘書の人たちには「皆さんでどうぞ」という具合にして配った。みんな「ありがとう!」と嬉しそうに受け取ってくれ、私はほっとした。しかしだ。私の思いに反し、お菓子の売れ行きがよくないのだ。あんなに嬉しそうに受け取ってくれたのに、どうしたというのか。一番親しくしていたエンジニアに遠まわしに理由を聞くと、「これ、豆だよな。どうして甘くするんだ?」と言うではないか。小豆(あずき)で作る粒餡(つぶあん)がだめだと言うのだ。コスタリカ人は豆をよく食べる。朝食に豆。昼食に豆。夕食にも勿論豆という感じだ。彼に言わせると、豆はおやつではなくご飯に食べるようなものなので、それを餡(あん)のように甘くするというのは、信じられないということだった。なるほどそういうわけか。確かに、それには一理ある。日本人も、ご飯を甘くしては食べないものな。いい勉強になった。そう思い、その晩彼を少々高いが日本食のレストランへ誘った。

その晩彼と二人、ビールを飲みながら、刺身をつついた。どうやら、刺身は大丈夫のようで、彼はうまいうまいとどんどん食べた。外国人に日本の食べ物をほめられると悪い気はしないものだ。「そうかそうか」と大いに盛り上がった。ふと、コスタリカに来てからずっと気になっていたことを聞こうと思った。「どうしてお前らみんなひげを生やしてるんだ?」今まさにそう聞こうとしたそのとき、彼が聞いた。「お前、どうしてひげ生やしてないの?」言い忘れたが、当時の私はひげを生やしてはいなかった。最近では少し変わってきたようだが、10年前までは、サラリーマンがひげを生やすなどということは許されないという雰囲気が日本にはあったのだ。「日本人はみんなそうなのか?」と畳み掛ける彼に答える前に笑ってしまった。

来週に続く

Saturday, September 29, 2007

ボロブドゥール寺院, プランバナン寺院

こんにちは~皆さん!土曜日ですよ~ あいにく昨日のおかようパーティー

参加でぎながったんですがどうだったんですが?デニスさんとトレバーさんは

演説うまくできましたか?

  今日はインドネシアの有名な観光地、ボロブドゥル寺院
プラ
ンバナン寺院を紹介します。二つともユネスコ世界遺産に指定
されているし、古代王国の首都ジョグジャカルタに
位置します。
ジョグジャカルタは中部ジャバ島に位置してジャカルタから飛行機で

1時間ぐらいかかります。(下にインドネシアの地図を付きました)
珍しいのは二つとも8-9世紀に完工されたこと、
でも
ボロブドゥル寺院が仏教 寺院反面、プランバナン寺院
ヒンドゥー教
寺院だこと、
最後に9世紀からみんなにすっかり忘れてしまっていて1900年代に
また発見さ
たことです。皆さんも自分で見ると多分感じると思いますが、
こんな建物を千年
前にどう作ったか驚こうと思います。
確かに僕は専門家じゃなくって詳しく説明はできませんが、もし興味が
あったらネットで検索してみてください。英語では
BOROBUDUR
PRAMBANAN
と言うんです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Borobudur
http://en.wikipedia.org/wiki/Prambanan














ボロブドゥル寺院













プランバナン寺院

インドネシアは、前皆さんに言ったとおり人口も島も多いですが、
歴史も長いし、文化も独特です。インドネシアはやはり多様な民族が
一緒に住んでいて1の国に見にくいんです。イスラム教徒の人口が
80%だと言いましたが、たいていが(1億名ぐらい)
ジャバ
密書うしています。

あー ところで皆さんに島の名前を紹介したこともないんですね。
インドネシアの島を多く分けるとこのように分けられます。ジャバ島、
スマトラ島、
ボルネオ島、ニューギニア、スラウェシ島。実は僕も
インドネシアに18年間住んでいたのに今まで
ボルネオ島、ニューギニア、
スラウェシ
島に行ったことがありません。


各島の民族、文化が違って、本当に独特です。いくつ例を挙げます。
スラウェシ
島のある民族(TANAH TORAJA-コーヒーで有名な地方)
は船みたいな家で住んでいるので聖書(
BIBLE)に出るNOAHの子孫だと
いう伝説があります。(
TORAJA人のたいていはクリスト教徒です。)
そして
ニューギニアの住民はアジア人よりアフリカ人に似ています。
また、
皆さんが動物園で見られるORANG UTANと白い虎は全部ボルネオ島、
スマトラ島出身です。 ORANG UTANはインドネシア語で
ORANG
は“人”、Hutanはジャングルの意味でジャングルの人に
なります。面白いでしょう?
 


 
 

Friday, September 28, 2007

1リットルの涙











先、「1リットルの涙」というドラマをもう一度見ました。私は見るたび絶対泣いていまいた。また、泣きすぎて、化粧が毎回取れています。さてさて、粗筋を簡単に紹介します。
これは亜也と言う若い女性が中学生の時から死ぬまで何時も治らない難病と闘った物語です。

中学生の池内亜也と両親、そして3人の弟妹たち、亜湖、弘樹、理加は平凡ながらも楽しい毎日を送っていた。ある日、亜也は、同じ高校を受験する予定だった麻生遥斗と言う男子学生と偶然出会いました。 合格発表日、東高に入学した亜也だけでなく、遥斗とも同じクラスだった。中学校時代からバスケットボール部に所属していた亜也は親友とともに同校のバスケ部に入部しました。そこで、中学時代からの憧れの先輩が出会いました。しかし、そのとき、未来の夢を追いかけていた亜也の体には異変が起きていた。診断の結果は亜也が脊髄小脳変性症と言う病気になっちゃう。「脊髄小脳変性症」はとても残酷な病気だと言っても、大げさではないと思います。。箸がうまくもてない、よく転ぶといった症状から始まり、だんだん身体が動かない、話せない、最後は寝たまま死ねければなりません。つまり、自分ができないいことが一つ一つ増えていることがはっきり感じできます。いわゆるぼけの方が本人はいいのかもしれませんね。亜也は真実を聞いても、自暴自棄になることはなかったです。学校でよたよた歩く亜也は必死に頑張りしていました。また、友達は助けてくれた。しかし、亜也の歩くスピードはのろいので、よく授業に遅刻してしまう。亜也の世話に疲れたと言っている生徒もだんだん多くになりましたから、仕方がなくて亜也は養護学校に転校しました。養護学校の教師たちは、障害者の自立のため厳しかったです。 亜也は大学に入るために勉強していたが、それも卒業するころには出来なくなっていた。そして、病状が深刻になる一方ですか、亜也は相変わらず日記を書き続けました。また、何時も助けを出す遥斗もう段々亜也が好きになって、亜也も恋心が芽生えました。最後、人一倍、明るく優しい亜也は25歳の時、短い生涯を閉じしました。







私は主人公の明るさに本当に感動しました。「不幸じゃない。不便なだけだ。動けない。人の役にも立てない。でも生きたいのです。それでも行きたいのです。胸に手をおく。心臓がドキドキ動いている。嬉しいな!私は生きている。」(せりふ)勿論、病人の気持ちは病人にしかわからないです。しかし、自分ができることは一つ一つなっちゃってとても残酷なものではないか。この苦しさに面して、25年間の人生を生き抜いた亜也は死ぬまで希望していた「人の役に立つ仕事」に向けて勉強に取り組んでいました。

Thursday, September 27, 2007

“ロン”ちゃんの話


私の弟がロンちゃんをいじめっています!(弟は一緒に遊んでると言ったんですが。。。)自分の足の裏に乗せてからかっています。。。その理由だと思いますが、今はそんなにいじめられると急に噛み付いてしまうんです~^^;;;

かわいいでしょう~!!! 初めに家に来た時は、ロンは、まだまだ~赤ちゃんなので、このようにず~っと~寝ていました~~^^。(私も寝たい~^^;;)その時はロンちゃんの性格が素直だな~~思ったんですが勘違いだったんでした。

皆さん~ こんにちは~^^。

今日も私のロンちゃんについて話を続けたいですが、まず、先週の時に“ロン”ちゃんの名前の意味が何なのか、の質問がありまして説明します。実は“ロン”ちゃんの名前は“Jae-rong” です。韓国語では“才弄”とのほとんど似ている意味で、かわいらしいしぐさをする子に“Jae-rongi”と呼びます。私はロンちゃんがかわいい行動をたくさんして、家族に関心と愛情をもらったらいいな~、と思ったのでこの名前を付きました。他の質問に犬がそんなに高いですか、と聞きましたが、本当に韓国では犬が高いです。動物農場で大量販売のために飼って売る犬は地下鉄駅の前ですごく安売りしますが、こんな犬たちはすぐ病気で死んだり、雑種で大きくなったりしまうのでどういてもアパートで飼えなくなります。ロンちゃんのことは母も父も健康で純粋な“Maltese”という品種で本当にかわいいですが、ちょっと変ですが、犬なのに好き嫌いの自分の感情がはっきりしていて、気に入らないとよく吠えたり~噛み付きたりして性格がちょっとかんの強い(先生~この表現は正しいですか?)小犬です。

Wednesday, September 26, 2007

白い紙の正体

今日は、皆さん。このエントリーを待っていた人いればごめんなさい。今までロッグインが出来ませんでした。そして、僕のエントリーがいつも前より長くなって申し訳ありません。

今度は登場人物の台詞を括弧に入れてみました。僕はもっと分かりやすくすると思うけど、みなはどう思いますか。あるほうがいいですか。ないほうがいいですか。そんな大切じゃないことはどうでもいいですか。そしてもう一つの質問があるが、手袋があるとき何をしますか。着る?履く?かける?つける?

さてさて、話しに入りましょう。


一時間前ただの日常生活を過ごすつもりだった、とトレバーが思った。まあ、授業がつまらない時もあるし、クイズは一つ二つぐらいあるはずだったけど、そんなに大変じゃない存在だ。特にこれほど大変には絶対至らない。

クラスへ行かずに知らない目的地へ知らない女と一緒に高速で知らない誰かから逃げていた。そしてその誰かが銃を持って向こう見ず撃っていた。

一生初めて、トレバーは授業に行きたいと思った。

知らない女の車を見つけて、それに乗って、女は危ない速度で雷雨の中に運転していた。トレバーはしばらくその女の注意を逸らさないように黙ったが、好奇心に負けて話してしまった。

「あの~、そろそろ説明貰えるか。」

謎の女が聞かなかったように前から目を逸らさなかった。道に注意していたことにトレバーが感謝したが、やはり答えが欲しかった。でも、数秒後、女はこの返事をした。

「これを書いたとき、何を考えていた。」

それは何の説明でもない、とトレバーが思った。しかし、答えてから説明がいずれ来るかもしれないと思ったから、答えた。

「俺も知りたい。キーボードの上に寝ちゃうところだったから、何を考えてたか全然分かんない。でも、俺はただの大学生だから、何とか極秘情報とか大逆罪とか書いたはずがない。」

女が笑いながら、「そういう問題ではない」と言った。「思ったとおり何も分からないな。」

「だから説明しろ」と少し怒って言った。「この何も知らせないのをいい加減にしろ。」

謎の女がしばらく無言で考えて、「言霊と言うこと、知っている」と聞いた。

言うまでもないが、それは意外なことだった。「コトダマか」とトレバーは言った。「琴とと言うことか。琴を綺麗に弾いて、人の耳に玉の音が聞こえると言うことか。」

女が少しトレバーの方へ向いて、眉毛を上げた。「そんな言葉知ってるけど言霊って知らない」と信じられないと言う声で言った。

「じゃあ教授なさっていただけませんか」とトレバーが皮肉な声で言い返した。

「言葉の魂だ」と答えた。「古代の日本に、言葉に魂があってその魂に力がある、いわゆる言霊を信じた人が多かった。」

「俺の作文と何の関係がある、それ。」

「あ、琴の玉の音と関係があると思う」と謎の女がニヤニヤ言った。

女に睨みつけて、「まだ何も分かんないけど」とトレバーは言った。

その女は例の白い紙を取って、「この紙に言霊の力がある」と真面目な声で言った。

まあ、普通の人間の中にそれを聞いた直後に信じられる人いるだろうか。多分いないな。トレバーも同じだった。凄い皮肉な声で、「何の力がある」と聞いた。

「この雷雨を生み出す力」と以前と同じく真面目に言った。


その瞬間、もっと劇的にするために、稲妻が光った。しかし、トレバーを説得するのはまだまだだった。「雷雨は自然な物じゃ」とトレバーが言った。「自然に起こったはずだ。」

「天気予報に全然気をつけないの」と女は言い返した。「今日は必ず晴れだと言った。」

「天気予報、信頼できるもんか」とトレバーが言った。そしてもう一度好奇心に負けた。「あの~、まだ信じないけど、そんな物凄い力があるとしたら是非何を書いたか見たいな」と言って、紙の方へ手を伸ばした。

「触れるな」と言って、謎の女がトレバーの手を激しく叩いた。「危険すぎる。私は厚い手袋があるから触れられるが、お前は触れれば、何になるか分からない。」

トレバーは文句を言いたかったが、行き成り大切なことに気がついた。白い紙は長い間雷雨の中に持たれていたが、一滴も濡れていなかった。一体何を書いたかと思った。

「とにかく、力がありすぎるのでもう何も読めない」と白い紙をジャケットのポケットに入れながら言った。

「どうなる」とトレバーが聞いた。皮肉が完全に消失した。

「私も知らないよ。この紙を研究しないとだめだ。でも、見てのとおり、信じられないほど危ない物だ。」

信じられない物をだんだん信じるようになってきていたトレバーがこっくりうなずいた。「最悪は」と聞いた。

「まだ分からないが、地球を滅ぼすかもしれない」とそっと答えた。

「そんな」とトレバーが呟いた。「大袈裟すぎるじゃないか。」

しばらく窓の外を無言で見て、突然「危ない」とはっきり言った。

「当然危ない」と女が少し激怒して言った。「聞いていなかったの。」

「いや、そうじゃなくて、車を止めろ!」

一台の車が道を断ち切っていた。女がブレーキを早速掛けて、窓の外の前を見た。突然ドアが開けられて、雨着を着ている男が謎の女を掴んで車から引き出した。

「どこだ」と暴力っぽいな声で言った。「俺に渡せ!」

やれやれとトレバーは思った。今日は頭がおかしいだろうな。馬鹿な事ばっかりしてるね。そうっとドアを開けて、車の向こう側まで歩いていった。雨着を着ている男と女はまだ取っ組み合っていた。

これは世界を救うって事かと思った。獣のように声を上げて、激怒している牡牛のように男に突進した。勿論体力は獣や牡牛ほどなかったから、大きい結果を出すはずがなかったが、男は吃驚して女を放して、雨に躓いて落ちた。

「逃げろ」とトレバーが叫んだ。女は一秒だけ渋って、逃れ出た。

これは有留先生の授業をスキップするまで十分な言い訳になるだろうかとトレバーは思った。いや、そんなこと存在するわけはない。知らない女を助けたもっと重要な理由があるはずだと思ったが、直ぐに男に掴まれたからそれより深く考える余裕はなかった。

深い声は「これもいけるかな」と言った。「おはよう、トレバー君。」

トレバーがその声を知っていた。そして、相手に向いたとき、顔も見慣れていた物だった。

この雨着を着ている人は知らない人とは言えない。


続きを楽しみにしてください。

Tuesday, September 25, 2007

ホラー映画

先日僕は幼いときから俳優になりたかったとは言ったでしょ。それは事実でした。そのため、高校で毎学期の芝居に参加したし、演技の授業もいくつもとりました。大学の一年目と二年目にも演技や映画や映画音楽(音楽が好きだから)の授業もとったりしました。ワシントン大学でもいくつかの芝居のオーディションに行ったが、一つ度も入らせられなかったっす。少しずつ演技力の自信喪失になって、知らない間に熱心さも失せました。

ところが、僕の可哀相な話じゃないですよ。その熱心を失わなかったら、今の大好きなビジネスと言語の勉強にしたわけじゃないかもしれません。

それはそうと言っても、演技の興味は全部失せたもんじゃないっすよね。ですから、ことあるごとにセントルイスの各地で演技するようにしています。ゆえに、この前の土曜日の夜、ホラー映画のちょい役として演技しました。僕は映画で演技した事ありませんでしたから、とても楽しみでした。午後8時から、セントピーターズの小さい界隈で撮りました。着いてから監督と助監督に会って、無答責とリリースの協議書にサインさせられました。その後、他のちょい役(20人ぐらい)と外で待ちました。

暫くすると、監督に映画の筋立てを説明してもらいました。タイトルは「サクリファイス•ザ•フィアー」(Sacrifice the Fear)といって、ある意味で怪獣映画です。ある日、立て役の四人が突然に寝たのと違う場所に起き、追々に小さな底気味悪い町(だからセントピターズの小さい界隈で撮った)だと分かるようになります。その町が魔女で呪詛されてて、町民は毎年四人を人柱しないと「陰怪物」に全町民が殺されることも分かるようになります。ですから、その四人の立て役がまず町民と戦って、それから陰怪物とも魔女とも戦います。

ちょい役たちはその町民でした。最初は、立て役との荒事を撮りました。とても楽しかったです。何回も戦いのコリオグラフィーを練習してからいよいよ撮りました。戦いが終わったら、陰怪物に追いかけられるシーンでした。それは、町民の逃げてばかりのシーンでした。そのため、何回も長い時間で走ったので、かなり疲れました。でも、それはラストシーンでしたから、終わってから休めました。


概して言えばとても楽しい経験でした。様々な人に会ったし、初めて映画で演技した経験でしたから。

その上、映画が完成したらただにDVDをもらって、封切りにも誘われます。本当に楽しみにしてます!

とても長いエントリーになって、すみません! m(__)m

Monday, September 24, 2007

セントルイス雑記・その壱

*セントルイス人同士が始めて会う時、必ず「どこの高校に行きましたか?」とお互いに聞きます。(初授業で、デニスさんと私もこんな会話をしました。)

*セントルイスの名物は揚げラビオリです。セントルイスで行われた1904年の万国博覧会で綿菓子、ピーナッツバター、アイスクリームコーンとアイスティーは世界中で初めて売られたそうです。

*1904年のオリンピックもセントルイスで行われました。20世紀初頭セントルイスはアメリカで四番目に大きい都市でした。(今は50番目位です。)

*去年セントルイスはアメリカの中で一番危ない都市と呼ばれました。(ロスとシカゴに住んだことのある私はこの結果にあまり信用できないけど。)

*セントルイスの運転手はアメリカで礼儀正しいほうと呼ばれています。交通渋滞でのイライラ、車の運転中{うんてん に突然{とつぜん}キレることが少ないからです。(ロスとシカゴに住んだことのある私はこの結果を物凄く信じています。)

*セントルイスは昔フランスに統治されていたから、道や地域の名前にフランス語が多いです。しかし、フランス語のままに発音されている名前が一つもないと思います。例えば、Gravois通りはグラボワじゃなくてグラヴォイ、Creve Coeur市はクレーブクールじゃなくてクリーヴコールです。

*セントルイスをセントルイーと言う人は明らかに観光客です。

17歳の年にカリフォルニアにある大学に行って以来、セントルイスに長く住むことないので、セントルイスのくだらないトリビアなら分かるけど、最近流行っているレストランとか面白い所はあまり知りません。教えてー!! 

Sunday, September 23, 2007

僕と玄米パン


(はじめまして!オーステイン・ワンと申します。皆さんのブログを読んで、たいへん面白いと思います。今回のエントリーを書かせていただいて、ありがとうございました。これからもヨロシクね★)
「健康にいいから、さっさと食べなさいッ!」
両親にそう言われて、いろいろな言うに言われぬものを食わせられた。ことのほか印象に強く残っているのは、エキストラバージンオリーブオイルをたっぷり塗ったゆず。果物の酵素とDHAの合わせが身体に不可欠だと、なんとかかんとかの説明もついたのだろうが、その説明をもうすっかり忘れてしまったか、あるいは当時ちゃんと聞いていなかったから…
モチ論、わが身を大事にして、泡沫夢幻や有為転変のような四字熟語をきちんと書けるようになるまで果敢ない寿命を惜しんでいる。しかし、いくら健康にいいと言っても、苦しくなるほどマズイものを食べたくはない。
最近、様々な新しい健康商品がたくさん出たに気づいて、たとえば、暇をつぶしてWhole Foodsを逍遥しながら、Authentic Tibetan Himalayan Dried Goji Berriesも発見した。それはすごいことだと思って、むかし母がGojiの果実で作った超不味い汁を思い出して、Gojiをスナックとして食べるなんて信じられなかった。ほんとに食えるのかと疑って一袋を買って帰ったのだが、じじつ、かなりおいしいと思った。なお、ミルクチョコ、ダークチョコ、ヨーグルト、Trail Mix、種々のバージョンも発売され、伝統的な西蔵人のようにGojiの果実を食べて楽しめるようになっているのだ。まさに、Gojiやバターのにおいが非常に強いアサイの果実などのような、異国風にエキゾチックなスーパーフードが人口に膾炙する。
それでも、このように育てたためか、自分の性格のためか、たとえば「1日30品目」に無理にこだわったりして、味なしの玄米パンの生活をつづけている。儚き世にでも、僕の性格や悪いクセだけは変わらないかなと思っている。いつか、多彩なクロカンブッシュやミルフィーユの日々キボーンo(゚◇゚)oワクワク

Saturday, September 22, 2007

インドネシアの自然環境

皆さん!こんにちは~いよいよ待っていた週末ですね~この週末に何か特別なことしますか?

今度はインドネシアはどんな国なのか簡単に紹介します。

インドネシアは東南アジア国家中の1つ、マレーシアの南、オーストラリアの北側に位置します。 地図で見るとそんなに大きく見えませんが、実は東方から西方の距離がアメリカと同じです。それに世界で一番大きい群島です。なんと17,000個の島でつくってあります。インドネシアの人口も二億三百万が超えてアメリカの次に多いです。言語はインドネシア語です。マレーシア語とは似ていてアメリカの英語とイーグリスの英語が違うぐらいです。

赤道(EQUATOR)の上にあって一年中ずっと夏です。年中平均温度は80度ぐらいです。確かに季節は1つしかありませんが、笑わせるのはインドネシア人に聞いてみると必ずインドネシアの季節は2つありますよといいます。何で二つと聞いたらインドネシアはDRYRAINY SEASONがあると言い張ります。ほかの季節がないので確かに一方ではつまらない画も知れませんが、その理由でインドネシアでは木が早く育つし、資源が豊富です。多分そうじゃなかったら僕の父を初め、僕の家族は最初からインドネシアに行かなかったはずです。僕の父はインドネシアで合弁とENGINEERED WOODの工場を運営しています。僕が小学生の時はインドネシアに暮らしているのがあまり好きじゃなかったんです。確か韓国に住んでいたら子供として遊びに行くところも多いし、どこに行っても面白い物ばかりだし。。でも僕は今思い返すと僕がインドネシアで成長してとてもよかったと思います。インドネシアで国際学校を行って韓国にいる僕の年頃の生徒のように入試地獄を経験する必要はなかったんです。また勉強の意外に大事な経験をたくさんする機会がありました。僕の中学校と高校はアメリカとヨーロッパの授業方式に教えたので、僕は当然に勉強もしながら放課後の特別活動も熱心にしなくちゃいけなかったんです。僕は奉仕活動のクーラブと旅行クーラブの一員でした。クーラブを通じて僕は僕の周りの人はどんなに大変な環境で生きているか、またこの世界は本当に行くに値するところが多いなのかを感じました。

Friday, September 21, 2007

アメリカ留学後、一か月の感想







どんなことを書けば良いのか迷いました。これから、私が、ここアメリカに来てからの感想を少し書きたいと思います。これを読む人にとっては、つまらないかもしれませんが、私にとっては、やはり青春で忘れられない一ページなのです。初めての経験なので、特に心に強い印象が残っています。先ず、私を一番びっくりさせたのは、なんといっても周りの人々の優しさと厳しさです。私のクラスメートは、皆、有名な大学の卒業生です。国際的な学生が多くいる中で、精華大学とか、また、シンガポール国立大学とか、名の通った大学の学生が多いです。彼らは、本当に優しいです。やさしさの中で、私も頑張っています。しかし、勉強のときは厳しいです。だから、私も、周りにやさしくしながら、勉強も彼らに負けないように頑張っています。本当に疲れます。次に、私は、この恵まれたチャンスを生かすために本当に頑張っています。このチャンスに恵まれて本当に嬉しいと同時に感謝しています。更に驚いたのは、自然環境です。澄んだ空、おいしい空気、芝生の上に遊ぶ栗鼠、空高くそびえる大木、その大木から栗鼠が下りてくるのです。そして、人々の周りで遊ぶのです。これは、街のあちこちに見られる光景です。ごみもありません。まるで全部がアンデルセンが描いた童話の世界です。私の故郷は、重化学工業都市なので、環境は良くないです。空気は汚れ、空は灰色にくすんでいます。夜になっても星があまり見えません。最後に、完備されている福祉施設に驚きました。アメリカでは、福祉施設が充実し、障害を抱えた人たちも家族に負担をかけないで生きていける社会です。例えば、バスにもそういう施設があります。車椅子のままで自動的にバスに乗れるのです。また、更に感じたことは、ある日のこと、私の体の調子が悪いため、店に入って熱いミルクを飲めば痛さも和らぐのではないかとミルクを注文しました。その時、店の人は不思議な表情を浮かべました。「本当に熱いのがほしいの」と聞き返しました。私は、「はい」と言って確認しました。 アメリカ人は冷たい飲み物が好きだと言うことがよく分かりました。この人は、熱いミルクを飲むなんて、不思議だと思っていたに違いありません。その後、AMYさんの説明を聞きました。アメリカ人は、一般的にはただ眠れないときに、つまり、深夜にしか熱いミルクは飲まないらしいです。だから、朝の10時、こんな時間に、しかも授業の前に熱いミルクなんか飲んでいる人があるはずがないだろうと自問自答しました。中米文化の違いを肌で感じました。                       これは、私のただの1か月の経験です。これから、もっと多くの体験が出来ることを楽しみにしています。それは、きっと思いもよらないことだろうと楽しみにしています。

Thursday, September 20, 2007

ロンちゃんとの出会い




皆さん~こんにちは~^^

今日も私の友だちの“ロン”チャンの話をしたいですが、エントリのために写真を見ていると、懐かしい思い出が浮かんで涙が出るほど寂しくなります。。。

私がロンちゃんと初めに出会った所はインターネット市場でした。“がわいい小犬を4匹売ります”と掲示板を見た時は、“がわいいな~”と思っただけで、毎日このサイトーに尋ねて見ました。でも、“一番がわいい小犬2匹は新しい家族に会って、残りの2匹はまだ家族をお待ちます”と、書いていました。何日かの後、“もう一匹残りましたが、誰も連絡がないと、犬を育てて食べてしまう農園に親父が送るかも知れません!この犬を助けてください”と書いてありました。私はその最後通知のような掲示板を見て、この子を買おう!と決心しました。

でも、問題はやっぱり値段。韓国ではアパートに育てられる小犬は本当に高くて、また、動物病院にもいって検査と注射も受けないと駄目で、ずいぶんお金が必要になります。この犬だちも最初は3万円以上だったんですが、このロンちゃんは残りなので、2万円で安売りしていました。がわいいそうに。。。結局、私は一ヶ月間のお小遣いを全部出して、この主人と病院で会う連絡をしました。

1月の15日、とても寒かった冬の夜、ロンちゃんは私の温かい上着の中に抱かせて、私の家族になりました。

Wednesday, September 19, 2007

雨着を着ている人

皆さん、今日は。やっとトレバーの冒険の続きです。コメントなんでもしてください。これが面白かったとかこの部分をこうしたほうがいいかもしれないとかどうしてそうしたとかこれからこうなると面白いかもしれないとか。でも、いつものように、一番大切なのは楽しんで下さい。


これは誰の馬鹿のアイデアだったかとトレバーは思った。追いかけていた人は思ったよりずっと速かった。トレバーはほとんど足の体操をしていなかったから、長距離競走に全然向いていなくて、直ぐ倒れると感じた。そして雷雨のお陰で歩道は凄く濡れていたから、疲れなくても躓いて落ちる可能性も高かった。所詮苦肉の策で声を上げてお~いと叫んだ。

意外にその策略は成功した。雨着を着ていた人が驚くほど行き成り止まった。一方で、トレバーが躓かないようにじっくり止まろうとしたけど、水溜りに踏んでぎこちなく落ちた。

あの~とぜいぜい言った。それは私の紙だと思いますが。

トレバーが上に向かって、吃驚した。追いかけていた人は女性だった。どうして男だと思ったか分からなかったけど、吃驚した。雨着を着ていたし雷雨の下で全然陽光がなかったから格好見えなかったけど、背の高い女性だった。稲妻が光った時、眼鏡を掛けている無表情の女だと言うことも分かった。

何を言っているとそんな女が薄情な声で言った。これは私の物だよ。

へ~とトレバーは泣きそうな声で自分に言った。そんな。どうしてここまで走ってきたか、阿呆。

馬鹿なことするなとそんな女が言った。これはお前の宿題じゃない。帰れ。

雨着を着ていた女は元の方へ向かった。トレバーが立ち上がって、あの~、僕は宿題とは言わなかったけどと言った。

謎の女はゆっくりと振り返った。真面目な表情が崩壊して、ただの何の迷惑だ、これと言う顔になった。しまったと自分に言った。

それは俺の宿題だとトレバーが叫んだ。返せ。

返せないとそんな女が答えた。

返せ!

返せない!

勿論、この二人は怒って互いに出来るだけ大音声で話し合っていた。しかし、怒らなくても多分叫ぶはずだった。雷はそんなに煩かったから。

それは授業の為の大切な宿題だとトレバーは言った。提出しなくちゃ大きい問題だぞ。

授業は大切じゃないとそんな女が返事した。そんなどうでもいい事を考えてるの。その馬鹿なことよりずっと大事な物だよ。

でも俺が作った作文だ。そして深夜まで無理して書いたもんじゃ。お前が取って行く権利全然ねえ。返せ!

雨着を着ていた女の表情は突然変わって、好奇心が強い顔になった。少しだけニヤニヤして、白い紙を手で上げて、これは本当にどんな物か知らないなと言った。

簡単な質問だったけど、相手の言い方のお陰でトレバーは自信なく俺の作文だけどとしか答えられなかった。

女の顔が無表情に戻った。違うよ。これは。。。

その瞬間、銃声が鳴った。

しまったとそんな女が言った。誰かが銃を何発も撃っていた中にトレバーを肩で掴んで止まった車の後ろに投げてそこで蹲った。見つけられたと急に言った。私と一緒に来るしかない。

ハッとトレバーがオロオロ言った。どうして。

その銃を勝手に撃ってる人に捕まえられて欲しいの。危険すぎる。私を付いていって。

あの~、いつか説明貰えるだろうか。

雨着を着ていた女の顔は迷惑をかけているよと言うのにもう一度変わったけど、時間があったら説明すると返事した。多分お前に知る権利があるだろう。

女は逃げる準備として八方に見ていた。トレバーはもう一つ聞きたいのがあるがと言った。

何。

授業に間に合うと思うか。

もう一回ニヤついた。間に合わないだろうと謎の女は答えた。ボンネットから見て、行こうと言って踏み切った。

走りながら、トレバーが畜生と言った。やっぱり有留先生に打っ飛ばされちゃう。


続きを楽しみにして下さい。

Tuesday, September 18, 2007

テレビガイド

今日は。ローレンスです。今日の授業に間に合わなくて、申し訳ございません。本当に困りました。

今週はどんなお過ごしだったでしょう。こちらは、特に楽しい事は何もしなかったので、何について話したらいいかと考えたら、やはり最近気になった事は今月から始まるテレビ番組です。

子供の時から俳優になりたかったのに、両親のせいで家でテレビを見ちゃ行けないルールがありました。ですから、今自分の家でいつでもテレビを見てもいいという事は自分にとってすごく自由でとんでもない事です。本当に素晴らしいもんだと思います!

というところで、今年の秋ラインアップは大部分今月から始まります。皆さんは何か見たいテレビ番組がありますか?

こちらは、あまり沢山はないけど、見たい番組はほとんど全部は月曜日の夜です。それに、同じ時間で違うチャンネルに出てる番組も沢山あるので、どうやって何を見たらいいか分かりません。例えば、月曜日の7時に見たい番組三つあります:How I Met Your MotherもChuckもPrison Breakもどうしても見たいですから、悩んでいます。何とかネットで見られるかと考えています。

これについて書く本当の理由は、皆さんの見たい番組を知りたいからです。僕は、以上の番組の上、HeroesとWeedsとCalifornicationという番組です。

皆さんはどうでしょう?興味なければ、何についてコメントしてもいいかもしれません。

Monday, September 17, 2007

楽市楽座

日本に来て初めて感動した所はゲーセンです。

断っておくけど、アメリカのゲーセンと日本のゲーセンは大分違います。私の十代の頃、アメリカの「ビデオ・アーケード」のイメージはピンボールをやっているタバコ臭い不良の集まる所でした。そんなアーケードに入る勇気が出ても、パックマンとかテトリスとか大味なレースゲームしかなかった。家のファミコンでできるほどのゲームをわざわざやりに行くわけないですね。

東京に着いた最初の夜。時差ボケで疲れていたのに、寝るのがもったいないと感じた私は頑張ってホテルを出て蒸し暑い新宿をぶらぶらと歩きました。ひとごみの流れに乗って自然にゲームセンターに着きました。

外から見るとびっくりしたのは大きさと明るさです。入ってみるとさらに驚きました。4階建てビルで信じられないほどのゲーム種類がありました。しかも、お客さんもいろんなタイプがいました。ダンスダンスレボリューションを一所懸命やっている無表情なサラリーマン。プリクラの機械に入ろうとしている56人の女子高生。恥ずかしそうに2Pのシューティングゲームに向かう初デート中のカップル。

人間観察にいい所だったけど、やっぱりゲームをするのが一番面白かったです。私は音楽系が好きですから、「サンバDEアミーゴ」を見た途端に惹かれました。プレイヤーの姿勢を感知して動きに合わせる「ザ・警察官」をしてみて、筋肉痛になりました。

日本にしかありえない変なゲームも気に入りました。例えば、「ザ・タイピング・オブ・ザ・デッド」では、ゾンビを殺すためにゾンビの前に出る言葉や文章をローマ字で早く入力します。



あと、友達と一緒に行く時は、馬鹿で楽しいミニゲームがいっぱい入っている「GAHAHA・一発堂」が最高でした。

お金の無駄遣いが嫌いな私でもゲーセンで平気で5千円を使ってしまいました。実は、私の大好きな「太鼓の達人」のPS2 用バージョンをアメリカに持って帰りました。最近宿題が多くて練習できないけど ()

Sunday, September 16, 2007

見かけによらず・・・


先々週の授業で、みんなに私はどのように見えるか、ちょっと聞いてみたことがあったね。何人かの学生から「優しそうに見えるけど、本当は怖くて厳しい先生なんじゃないか」という意見が出たが、これは、実は私にはちょっと意外だった。意外だったのは、見かけとはずいぶん違うのではないかという感想ではなく、私が優しそうに見えるという感想の方である。「へー、そうか。俺って優しそうに見えるのか」となんだかびっくりしてしまったのである。これまで、自分自身、優しそうに見えるかどうかなど、考えたことはなかったからだ。まあ、「いやみにみえる」とか「なんか、けちな感じがする」などと思われるよりはよっぽどいい。講師としては親しみやすいというのは大切なことだ。でも、「本当は厳しくて怖いのかもしれない」というのはどう考えればよいのだろう。みんな、私のどんなところを見て「本当は怖いかもしれない」と思ったのだろうか。私の何が、そう感じさせるのだろうか。あの日、授業の後、いろいろ考えたりした。

私はこの大学に来る前、ミネソタ大学の大学院で3年勉強した。大学のそばにアパートを借りて一人で住んだのだが、一緒にTAの仕事をしていた仲間がよく訪ねてた。ジョギングの途中に下から声をかけてくる者や、そこまで来たからちょっと上がらせろという者などが突然やってきたりした。これといって約束をしたというわけではないのだが、みんな「ちょっといいかなあ」という感じでやって来た。そして、私の部屋に入ると、みな一様に、「きれいにしてるんだねぇ」と言ってくれるのだった。正直自分では特に気を遣ってきれいにしているつもりはなく、まあ、性分として、部屋を散らかさないだけだと思うのだが、「きれいにしてるねぇ」と言ってもらえると、悪い気はしない。人のいい私は、「そう。今コーヒーを入れるね。こんなお菓子もあるんだけど、どう?」などと、いそいそサービスをしていたように思う。だが、ある時、ふと気づいた。部屋にやって来る友人達は、一様に「きれいにしているんだねぇ」と言ってくれるのだが、それは、褒めているというよりは、心底意外に思っているようなのだ。つまり私の部屋が、彼らの「きれいじゃないはずだ」という予想に反して、きれいであった事実に驚いているようなのだ。私はだらしなく見えるというわけか?私は「見かけに反して、部屋をきれいにしているやつ」なのか?私は、特に親しく行き来していた友人にこのあたりのことを尋ねてみた。すると彼は、「正直、ひろさん(彼は私の下の名前をとってそう呼ぶ)の部屋が汚かったとしても、意外な感じはしないね」と言うではないか。私は、私のどんなところが、「部屋が汚くてもびっくりしない」か聞いてみたが、彼は説明できないと言った。ただそう思うだけだと。

まあ、人の印象なんて説明の出来るものではないのだろう。わざわざ、上の例を持ち出すまでもなく、「ただ、なんとなくそう思っちゃったんだから仕方がない」という程度のものなのだろう。深く考えても仕方がない。さてさて、皆さんの私の第一印象「優しそうに見えて、本当は厳しくて怖い」というのは当たっているのだろうか。1年間の授業の後で判定してみてください。

Saturday, September 15, 2007

インドネシアにようこそ

おはようございます。チャンです。ようやく週末になりましたね!皆さんは週末に主に何をするんですか?僕は今日韓国の学生の新入生歓迎会に参加するよていです。韓国の歓迎会は有留先生が授業で描写した日本の新入生の歓迎会と違いが余りありません。僕が1年生の時には本当に行きたくなかったんですが、今度は僕が後輩に飲ませる立場になって期待になります。

さて、僕は今度のBLOGを始めて皆さんにインドネシアについて紹介したいんです。もし知りたいことか興味があることがあったら僕に聞いてください。僕の国籍は韓国ですが、3歳からインドネシアでずっと住んでいて、やはりインドネシアは僕にとって“心”の故郷みたいな所です。インドネシアは暑いし、外国人にとっては大変な所かもしれませんが、僕には幼年と学窓時代の記憶が残っている、そして、いまだに両親が住んでいる大事な所です。

まず、皆さんに聞きたいんですが、皆さんはインドネシアについてどのぐらい知っていますか?僕が大学で付き合い始めた友達の大抵はインドネシアはムスリムの国家でただ危ないところと知っていました。やはりムスリムの人口がインドネシアの国民の80%を占めるのは事実ですが、インドネシアにはほかの雑多な民族も一緒に暮らしています。例えば、中国系のインドネシア人は2百万以上、ヒンズー教の信者は6百万が超えます。日本人の数もどんどん増えていて今はジャカルタ(首都)どこに行っても日本人が見えます。そして、皆インドネシアは危なくてあまり面白くないところと知っているかもしれませんが、一旦行ってみた人は必ずもう一度行く国です。

それでは、今度は写真いくつを付きます~
















上の写真は僕のアパトです。右の写真はジャカルタです。インドネシアと言うと貧しいイミジがありますが、実は度外れな速度で発展している国です。















僕と僕の弟です。インドネシアは1年中夏だからいつでも野外の運動をしえます。






私の写真です。







すみませんが、皆様。私は今日は病院に行きました。そして、保険の申請の締め切りは明日です。だから、いろいろなことを扱わなければなりません。本当に言い訳がないが、申し訳ございません。
早速ですか、私の二つの写真をご覧ください。第一枚は日本で撮った写真です。回転ずしの店です 日本では、回転寿司がとてもおいしいです。貴方も知っている通り、日本の周りは全て海です。魚が何処でもよく取れます。そして新鮮です。だから、日本人は魚をよく食べます。新鮮なので刺身にして食べます。生のままです。「生魚片」です。獣の肉よりも魚の肉の方が体によいそうです。今更に考えると、知らないうちによだれを流しています。
もう一枚は今日の病院で撮った写真です。私はわざわざ行きましたけど、虫歯の医者さんは全部お暇がないので、来週まで治療をもられません。私はまだ我慢しなければならません。でも、たとえ治る、沢山なお金を払わなければならません。守銭奴の私として、本当に堪らない打撃です。
この二つの写真を一緒に見ると、私は今かわいそうな感じを出せました。
いままで、わたしは中国では得られない新しい経験を沢山に体験しました。電子辞書がなくなるとか、道を迷うとか。家を離れる苦しさを身に染みました。でも、その経験があるこそ、早く成長できると思いました。私は続けて頑張ります!

Thursday, September 13, 2007

私の友達、私の家族

皆さん~^^~ こんにちわ。

最近、天気が寒くなったせいか、または、もう疲れてしまったのか、私はどんどん家族が本当に会いたくなりました。


ところで、私の家族の中で一番思い出すのは、"ろん”さんです。ほかの家族がこの話を聞くと、大変なんですが。。。


私は、エントリに2年間わが家で笑い作りの役割を担当した”ろん”さんについて話したいです。



もともと、わが家には、ペットを飼うことは禁止されました。この理由は、さまざまですが、掃除も、訓練させることも面倒くさいとか、費用が高いとか、が主な問題でした。

私は、1ヵ月前からこの子とは知り合いだったんです。たが、どんどんこの子が大好きになって、もう我慢できなくなり、早速に行動に移りました。


初めて、私が家に、ろんさんを連れて来た時、やはり、動物は汚いから駄目!、と言われて、

"ろん”さんは、あの写真のように箱の中に入られてしまいました。

この子は、この後1ヵ月ぐらいにかけて、いろんな難しい関門を通過して、とうとうに許可をもらって、私の家に入るのが出来ました。来週からは、ろんさんの激しい訓練についてまた話しをしたいです。

皆さん~! 風邪に引かないように、気をつけてください~!!!

Wednesday, September 12, 2007

始まる。。。

はは。そろそろ僕の出番です。実は、他の皆さんと同じようなエッセーみたいなエントリーを書かないと思います。僕にはショートストリー(小小説と言えるかな。)を書くのが好きだから、そんなのにしたいと思っています。ちょっと長いから我慢して下し。そして僕は写真を撮るのが余り上手じゃないから、よく想像を使って下さい。

トレバーの冒険

何を書くか。何を書くか。


トレバーが悩んでいた。大学の四年生で、明日出さなくてはならない日本語の作
文の宿題があったのが理由だった。その作文の内容は、何でもよかった。

何でもいいかとトレバーは思った。それがとってもよくない。先生がもっと詳しく説明すればなんか思いを出せるけど、何でもいいから何のアイデアも浮かばない。先生の怠け者。

実はトレバーの日本語の先生は全然嫌ではなかったが、そのときに文句しか考えられなかったからそんなのが出てしまった。まあ、人間だから文句を言うのが好きだからね。でも、所詮それが何の結果にもならないと分かって、コンピュータの前で座って画面に向かった。

はい。頑張ろう!

日本語が出来ない同じアパートに住んでいた人たちは、勿論英語で、何を言っているかと聞いたけど、トレバーが作文に夢中して何も聞かなかった。一時間後、トレバーが立って、大きい声を上げて、これを述べた。

やっぱ何も書けねえ!

いよいよ作文を書くのに成功した。何の内容だったか、今だにトレバーも覚えていない。しかし、そんなのは関係ない。大切なことは、宿題を終えた。それから、随分疲れて、キーボードの上に寝てしまった。

ずずん。

大きい雷がトレバーを起こした。時計を見て、すぐ授業の時間だと分かって、のろのろ頭をキーボードから押し上げた。キーボードに寝ていたために、作文は七十八ページでほとんど全部「ええええええええええええええええええ」になってしまったけど、それを抹消して元々の作文を取り返された。それをプリントしてのろのろトイレへ行った。

ずずん。

世が暗くなった。物凄い稲妻のせいで電気がなくなった。トレバーが慌てて部屋まで戻って懐中電灯を探しました。それをつけて、信じられないことを発見した。作文は影も形もなかった。停電の前に作文を全部プリント出来る時間があったはずだった。途中で止まったことでもなかった。トレバーに誰かに取られたとしか思わなかった。

ャべーとトレバーが思った。宿題がないと有留先生に打っ飛ばされる。見つけなくちゃ。

でも、どこで見ても見つからなかった。諦めて陰気な態度で傘とバックパックを持って、外へ出た。学校へ向かうところで、少し変なことを見た。正反対の方へ雨着を着ていた人が逃げていた。その人の手には。。。

白い紙があった。

多分、その人はトレバーとは全然関係がなかった。その白い紙がトレバーの作文だった可能性はほとんどなかった。しかし、トレバーの頭の中に有留先生の怒っている顔の怖いイメージが浮かんで、しょうがないと思って、全速でその謎の人を追いかけた。

続けを楽しみにして下さい。

Tuesday, September 11, 2007

オッパッピー

今晩は。エントリーが思ったより遅くなって、すいません。最近具合がちょっと悪くなったし、今日もう大変疲れてるので、何について書いた方がいいだろうかとは思い、やはり考えずに面白い話だったらいいでしょ。

一昨日のコメントで、「両親の家でホームステイしてる日本人の留学生」って話だけど、先日彼に一人の日本のお笑い芸人の事を教えてもらいました。皆さん、小島よしおさん知っていますか?

その留学生に小島よしおの紹介は「この人は、世界中でユーチューブの人気ある五位だそうだ。本間の阿呆やけど、何とか滅茶面白い」(留学生はやっぱり関西出身)と言われてて、ビデオ見せてもらうと「いったい誰だ、こいつ」とは笑顔で声を出しました。以下のビデオを見るとすぐ分かるはずです。皆さんも笑わせられるか分かんないけど、よかったら見てみてください:

「ぐるナイ」というテレビ番組で小島よしお


それじゃ皆さん、どう思いましたか?

ところで、その歌(歌じゃないけど、何と呼んだらいいか分からない)の中で、何度も「オッパッピー」と言ってたでしょ。それってどういう意味か分かりますか?

ギブアップ?

オッパッピーって、「オーシャンパシフィックピース」という意味です。つまり、「太平洋に平和を」ということ。なんでそんなことを言うかって、やっぱり、そんなの関係ねぇ。

後は、僕が好きな他の小島さんのビデオのリンクです。皆さん楽しんでみてください!
http://www.youtube.com/watch?v=DxkZMKD89gU
http://www.youtube.com/watch?v=AYIqrvolkrY

では、またねぇ〜!(^_^)/

Monday, September 10, 2007

日曜のBBQ

5月に長い間使っていないグリルを倉庫から出して、掃除しました。せっかく綺麗にしたから、最近できるだけ使うようにしています。日曜日の天気がよかったので、またバーベキューをしました。

メインがタイ風鶏肉。鶏肉を一時間塩水においてからニンニク(10片位)、香菜と色んなスパイスを擦り込みました。グリルに乗せて皮がカリカリになるまで焼きました。



アメリカのバーベキューでは、豆三種類のサラダはよく出るサイドディッシュです。東南アジア風のメインに似合うため、いつものレシピにライム汁、香菜とクミンを加えました。

残りのサイドディッシがじゃが芋サラダ、コールスローとコーンでした。両親がスパイス・オーバーロードを感じないため、アメリカ風に作りました。

Sunday, September 9, 2007

J462 FA07ブログへようこそ!


5年生の皆さん

今晩は。お休みはいかがでしたか。
ここ最近、変な天気が続いていましたが、今日は朝からいい天気でしたね。せっかくの天気のいい日曜日。外で、何か身体を動かすようなことしてみましたか?

さてさて、今日からブログのスタートです。皆さんの書きたいことをどんどん書いてください。最近思ったこと、感じたこと、むちゃくちゃ腹がたったこと。家族のこと、友だちのこと、猫のこと、最近見た映画のこと。本当に何でも構いません。どんどん書いてください。ルールは、授業で話したとおり、担当の曜日に自分のエントリーを書き、その外の日はコメントを書く、それだけです。
念のため、各曜日の担当者を確認しておきましょう。
日 有留
月 マイケル
火 デニス
水 トレバー
木 チュン
金 ワン
土 チェン
(シグフリードさんは後で、希望の曜日を教えてください。)

このブログ、はじめのうちは少し大変かもしれませんが、続けていくうちに慣れてくると思います。毎回大作を書いてやると意気込まなくてもいいのです。ぼちぼちやりましょう。
じゃあ、はじめましょうか。

有留